西南の役に散る。

西郷隆盛 四十九歳

明治十年(1877年)征韓論に破れた西郷は、野に下り、鹿児島に引き籠もっていた。しかし、西郷の手による軍事訓練学校“私学校”の生徒が、政府の西郷に対する扱いを不満とし、政府に対し武力蜂起を行ったのである。

西郷、はじめは叱咤したものの。もう勢いは、彼自身にも止めることはできなかった。
「わかりもした。おいが身体、おはんたちに上げまっしょ」
ここにおいて、西郷は挙兵する。西南の役である。

西郷は、まず軍を北に進め、熊本城を包囲する。熊本城は九州の要、なんとしてでも手に入れねばならなかった。しかし、名将加藤清正が心血を注いだ城である、守りは固い。しかもその間に、官軍は続々と熊本を目指して進軍してきていた。

そしてついに、西郷軍は官軍を迎え撃つ。日本の合戦史上で最も壮絶と言われた田原坂の攻防戦の幕が切って落とされるのである。

『雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂』
とも謡われた攻防戦。官軍を向こうにまわし大会戦を演じた西郷、この時四十九歳であった。

西郷隆盛(1828~1877)
薩摩藩藩士 西郷吉兵衛隆盛の子として生まれる。薩摩藩の改革や新政府の樹立に尽力。後に政府と意見が対立し野に下る。