父を追放し、政治の実権を握る。

北条政子 四十八歳

正治元年(1199年)源頼朝が、この世を去った。頼朝亡き後、その妻政子は出家し、長男の頼家を将軍にして幕府を盛り立てていこうとしていた。ところが、当の頼家は、遊んでばかりで少しも将軍職を遂行しようとしない。

「このままでは、御家人たちが、将軍家から離れてゆく。実朝を立てよう」
彼女は、突然頼家を廃位させ、その弟実朝を三代将軍に立てるのだった。

しかし頼家は、この後、政子の父北条時政の手により暗殺されてしまう。その暗殺を政子が知っていたのかどうか。それは、定かではない。

「ついに、母一人、子一人になってしまった。実朝、わたしはもうおまえだけが頼りだよ。武家の棟梁としてたくましく成長しておくれ」
政子は、病弱な実朝にせつない願いをかけていた。

その後、父時政が実朝を除こうとしたとき、政子は迷うことなく父を追放し、弟の義時らと政治の実権を握る。まさに、母の愛がつかんだ政権であった。時に元久二年(1205年)、政子四十八歳であった。

北条政子(1157~1225)
鎌倉幕府の創設者、源頼朝の妻。頼朝の死後、北条氏一門とともに幕府の中心として政治を行った。