近代兵器で官軍に立ち向かう。

河合継之助 四十一歳

官軍は、北陸の諸藩を従え、ついに小千谷までせまって来た。長岡は、目と鼻の先である。
しかし、『長岡藩はあくまでも中立を保つ、そして奥羽の藩の調停役にあたる』それが、継之助の考えであった。継之助は、官軍の軍監岩村精一郎に面会を求めた。

「長岡藩は、朝廷に対し叛意を持ってはおりませんし、奥羽の列藩も、私が説得にあたれば、必ずや官軍に従うでしょう。敢えて進軍し、大乱を招くことはありません。ここは、しばらく継之助に時間をお与えください」

継之助は、夜を徹して岩村に話を続けた。しかし、
「家老の身分をもわきまえぬ奴だ。えーい、聞く耳もたぬ。長岡藩は朝敵と決まった!」
岩村は継之助の説得を退けた。継之助を見くびっていたのである。

「もう戦うしかない。しかし、そうとなれば、徹底して相手を叩かねばならぬ」
そう決断した継之助の行動は速かった。

このような時のために外国商人から購入しておいた近代兵器を駆使し、越後に長岡藩ありとの戦いを展開したのである。この時、継之助四十一歳であった。

河合継之助(1827~1868)
長岡藩譜代の家臣。長崎に遊学して、開国論を唱える。後に家老として藩の改革を行う。戊辰戦争では中立の立場をとるが、容れられず抗戦を決意。