王政復古の大号令。

岩倉具視 四十二歳

朝廷から追放されて五年、叡山のふもと岩倉村で蟄居していた岩倉のもとに、再び参内するようにとの報せがとどいた。岩倉具視、四十二歳の時であった。

岩倉が、岩倉村で時代の流れから取り残されていた間に、薩摩と長州は連合し、討幕の機運は、いよいよ高まっていた。

しかし、彼はそれを何も知らなかったわけではない。追放中にもかかわらず、彼のもとには、多くの志士たちが訪れている。大久保利通、西郷隆盛、坂本龍馬、桂小五郎ら、錚々たる面々である。しかも、彼らは一様に岩倉の見識に魅了されたのであった。

「岩倉殿は、並みの公家とは違う」
岩倉にとってこの五年間は、まさに自らの力を醗酵させる時だったのかもしれない。

「この年月を無駄にはすまい。そして、今こそ薩摩を後楯に、討幕を実現させる時だ」

慶応三年(1867年)十二月九日、岩倉は、宮中に復帰する。そしてその日、岩倉と薩摩の西郷、大久保の指揮のもと、薩摩、土佐、尾張、安芸、越前の兵が、一挙に京都御所を押さえ、王政復古の大号令を発したのであった。

岩倉具視(1825~1883)
百五十石取りの公家の子として生まれる。関白の鷹司政通に認められ、天皇の侍従となる。明治維新に大きな役割を果たし、新政府成立後は、要職を歴任。