独自の句風を確立。

小林一茶 四十九歳

故郷柏原は、雪の中にあった。文化九年(1812年)十二月、一茶は信州柏原に帰郷する。冬、家も人の心も雪にうずもれてしまう故郷であった。十五歳のときに捨てた故郷でもあった。しかし、彼はここに戻ってきた。そして、この地を終生の地と定めたのであった。

「わしは、ここに帰るしかないんじゃよ」
あきらめにも似た気持ちが彼の心にあったのだろうか。いや、一茶はどんな所であろうと、自分が生まれ育ったこの柏原を愛していたに違いない。その証拠に、このあとの十有余年が、一茶の芸術活動が最も盛んになる時なのである。

『痩せ蛙 負けるな一茶 これにあり』
『めでたさも 中くらい也 おらが春』
一茶独自のユーモアあふれる句風、自然や小さな物に愛情を注ぎ込む句風は、この時期に確立する。

この時、一茶四十九歳。人生の最期の、そして絶頂の期を一茶はこの地で過ごす。

『これがまあ つひの栖(すみか)か 雪五尺  一茶』

小林一茶(1763~1827)
信州柏原に生まれる。家庭不和の中で少年時代を過ごし、江戸に出て、俳諧の道に入る。諸国行脚の後、句集や文集を発表。後に帰郷して柏原に定住する。