秀吉の妹、朝日姫との婚姻。

徳川家康 四十三歳

秀吉にとって徳川家康は、最も気がかりな存在であった。また、不気味でもあった。なんとかして、家康の態度をはっきりとさせ、自分を天下人と認めさせることが必要であった。そのため秀吉は、異父妹の朝日姫を家康のもとに嫁がせた。体のいい人質である。

佐治日向守と無理に別れさせられた朝日姫は四十三歳、家康も四十三歳。その年になっての婚姻とは、二人とも気まずかったに違いない。

しかし、家康は
「今は、秀吉にしたがっておいた方が得策じゃ。秀吉との戦、勝てる見込みはあるが、もし今奴を倒すならば、次はわしが秀吉の労苦を背負い込むことになる」
と、考えていたのである。

秀吉は、さらに実の母まで、人質として家康に送りつけてきて上洛を懇願した。そして、家康はついに上洛し、秀吉を天下人として認める。自らの出番はもう少し先のことと考えながら・・・。

家康の妻となった朝日姫は、後に大坂でその生涯を閉じる。

徳川家康(1543~1616)
三河国岡崎の生まれ。織田信長、豊臣秀吉を継いで天下統一を成す。江戸幕府の初代将軍となり、幕藩体制三百年の基礎を築く。