小牧・長久手の戦い。

豊臣秀吉 四十七歳

秀吉と家康の間の最初の戦は、小牧・長久手の戦いである。時に、秀吉四十七歳、家康四十一歳。この戦、亡き信長の次男信雄が、家康に助けを求めたところが発端となっている。

「得意顔の秀吉の鼻を、ここらでへし折っておかねばならぬ」
家康は、三河を出て小牧山に陣を敷いた。家康・信雄連合軍一万八千、一方秀吉軍は十万。数の上では秀吉が勝っていたが、家康は強く、両軍睨み合ったまま動かなくなった。

そこで、秀吉の甥である秀次が、三河を衝こうと行動を開始した。しかし、その別動隊も、長久手で家康軍に大敗し、戦線は再び膠着してしまったのである。

その報を聞いた秀吉、大いに腹を立て、
「えーい、不甲斐ない。わしが家康めを引きずりだしてくれるわ」
と叫ぶや柵の上に立ち、家康軍の方に自分の尻を向け、それを叩いた。

「臆したか家康!我が尻を討ってみよ!」

秀吉得意の奇策である。しかし、この挑発にも冷静沈着な家康はついに乗ってこなかった。

豊臣秀吉(1537~1598)
尾張に生まれ、織田信長に仕える。最初の名は木下藤吉郎。信長亡き後、その意思を継ぎ、天下を統一。ついには、太閤の位にまでのぼる。