備中高松からとって返す。

豊臣秀吉 四十五歳

高松城が落ちるのはもう時間の問題であった。毛利攻略の手はじめとして、この高松城は、なんとしてでも落としておかねばならない城であった。そのため、秀吉は、水攻めという奇策に出る。

難攻不落を誇った高松城も、これにはついに音を上げた。和議を申し込んで来たのである。しかし、秀吉はなんのかんのと言っては、返事を引きのばしていた。

だが、思いがけない報せが、秀吉の陣中に届いた。信長の死である。秀吉、しばらくは声も出ない。その時軍師の黒田官14兵衛が、秀吉の耳にこう囁いた。

「殿、ご運の開ける好機がまいりましたぞ」
秀吉、ハッと我にかえり、官兵衛ににっこりと微笑みかけたかと思うと、こう怒鳴った。

「毛利と和議じゃ。帰るぞ! 明日には姫路に入る」

そして、毛利と和議を結ぶやいなや暴風の中を姫路に向けて出発。百キロの道を全軍が駆けに駆けて、次の日には姫路城へと入ったのである。秀吉四十五歳、機転の大返しである。

豊臣秀吉(1537~1598)
尾張に生まれ、織田信長に仕える。最初の名は木下藤吉郎。信長亡き後、その意思を継ぎ、天下を統一。ついには、太閤の位にまでのぼる。