主君を追放、美濃を盗る。

斎藤道三 四十八歳

「まむしの振る舞い、目に余るものがある」

“まむし”と呼ばれた斉藤山城守秀竜、美濃の国侍たちの反感を買っていた。油商人であった秀竜は、土岐家に入り、さまざまな謀略を持って、その時までに土岐家の執権へと駆け上っていたのである。

彼らは、『国守土岐家に対し専横の振る舞いあり』として、同盟軍を組織し武力に訴えてきた。ところが秀竜、国侍が実力行使に出ようとすると、自らの非をさっさと認め、頭をまるめてしまったのである。そして、名も道三と改める。しかし、この殊勝さは、彼一流の戦法であった。

「この美濃、今が盗りどきじゃ。我が大望、今こそ成就させん」

天文十一年(1542年)、突如道三は国守土岐頼芸の居城大桑城を襲い、国守を追放してしまったのである。まわりを油断させておいて急襲する・・・まさに商人の鋭さであった。ついに道三は、名実ともに美濃一国の国守となる。

油売りの職を捨て、土岐家に入って二十年。時に道三、四十八歳であった。

斉藤道三(1494~1556)
山城国、西岡出身。京都の妙覚寺に入り、還俗して油売りの商人。土岐氏執権長井氏に士官し、さらに土岐氏の執権となる。後に美濃国守護代となる。