源頼朝 三十三歳
頼朝は、安房へ向かう船の中にあった。石橋山の合戦は、完全な負け戦であった。しかし、
「関東の武者は、まだ我を見捨ててはおらぬ。必ず、戻るぞ!」
頼朝の意気は強かった。まだ希望を失ってはいなかったのである。
この石橋山の敗戦からわずか四十日、関東の武士団を従えて、頼朝は鎌倉入りを果たした。頼朝決起の報を受けた平家は、直ちに追討の軍を差し向ける。そして、源氏、平家の両軍は、富士川にて一大決戦を行うのである。時に治承四年(1180年)十月。
川の西岸に陣を構える平家軍は、平維盛を大将軍とし、その数、数万。一方、頼朝率いる源氏の軍は、なんと二十万に膨れ上がっていた。
この大軍を前に、平家軍は動揺していた。脱落してゆく者もあとを絶たなかった。ここにおいて平家は既に戦いに敗れていたのである。史書によれば、平家は水鳥の羽音に驚いて、一戦も交えずに敗走してしまったと言う。
この戦いを契機に、頼朝は、武士政権の基礎を着々と築き上げてゆく。頼朝三十三歳であった。
源頼朝(1147~1199)
源義朝の子として生まれる。平治の乱に父とともに出陣し敗北、伊豆に流される。後、以仁王の令旨を受けて挙兵。平氏を滅ぼして鎌倉幕府を樹立する。