西郷隆盛 三十六歳
「このたびはふたたび出で申さずと諦め申候・・・」
西郷が、藩主島津久光の怒りに触れて沖永良部島へ流された時に書かれた手紙の一部である。彼は、もうこのまま一生を、南海の孤島で終わらせるつもりであったのだろうか。
しかし、西郷はこの島で、薩摩藩の島民に対する搾取を見ていた。しかも、見ていただけではなく、島流しの身ながらも、藩庁に対して意見書まで提出していた。西郷は、島で人々の苦しみを身をもって知ったのである。
「何とかせねばならん。これはひとえに薩摩だけの問題ではない。天下の問題じゃ」
彼は、まさに政治家であった。人民の生活をなんとかせねばという思いは彼の心を揺さぶった。
そしてこの時、時代は、西郷を求めていた。この巨人が動かねば決着のつかない事態が、生じてきていたのである。薩摩藩内でも、西郷に期待する声が猛然と高まっていた。
元治元年(1864年)。ついに、西郷は赦免される。時に三十六歳。この後、西郷は薩長連合、戊辰戦争、江戸城開城とめざましい活躍を続けてゆくのである。
西郷隆盛(1828~1877)
薩摩藩藩士 西郷吉兵衛隆盛の子として生まれる。薩摩藩の改革や新政府の樹立に尽力。後に政府と意見が対立し野に下る。西南戦争で没する。