額田王 三十七歳
天智七年(668年)額田王三十七歳の時の事である。天智天皇が、琵琶湖のほとりで、壮大な野外の宴を催した。そのとき額田王と天皇の弟大海人皇子の間でこんな歌がかわされる。
『あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る 額田王』
『紫草のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆえに吾恋ひめやも 大海人皇子』
額田王、彼女は今、天智天皇の妃となっていた。だが、天皇の弟である大海人皇子は、なぜそんな彼女と愛の歌を交わしたのであろうか。
大海人皇子は、彼女の前の夫であった。額田王は十五歳の時十六歳の皇子と結ばれ、子までもうけていたのである。
大海人皇子は、今はもう、他人のものとなってしまっていた彼女に再び恋心を燃やしたのであろうか。額田王は、そんな皇子の恋心に歌で答えるのであった。
「あなたがわたしのことを慕ってくれるのはうれしいのですが。もう止めましょう。わたしには今、夫がいます。他の人がわたしたちを見たら何と言うでしょうか」
二人の男性から愛される、女流歌人額田王。彼女こそ、恋に生きた万葉のヒロインである。
額田王(631?~ ? )
大和国で生まれる?大海人皇子の妃となり、十市皇女を生む。その後天智天皇の妃となる。『万葉集』の中に十二首が記録されている。