二宮尊徳 三十六歳
『手本は二宮金次郎』の歌で有名な二宮尊徳、薪を背負いながら本を読む姿が、まず思い浮かぶ。しかし、尊徳が農政家として村を復興させたという功績は、知る人が少ない。
二宮金次郎こと尊徳、三十六歳の時、彼は小田原藩主により復興を命じられた下野国桜町領へと乗り込む。金次郎は、全財産を処分して、桜町領へと向かった。この復興に賭けていたのである。
だがその時、桜町領で彼が目にしたものは、荒れ野と化した水田と、水田と同じく気持ちのすさんだ農民たちの姿であった。
「農は人である。村人たちの心をまず揺さぶらねば、村は興せん」
金次郎は、仕事に精を出す働き者を表彰した。それも、村人たち自身に選ばせて表彰したのである。こうすれば、選んだ者も、自分たちで村を建て直すという意識を強く持てるわけである。
さらに金次郎は、村人たち一人一人をよく知り、厳しい指導に努める。朝は一番鶏とともに起きて村を回り、その時起きていない村人をしかりつけたと言う。
こうした努力の甲斐あって、桜町領は数年後見事に復興するのである。
二宮尊徳(1787~1856)
相模国足柄生まれ。没落した自分の生家を再興し、地主となる。藩主の要請により、桜町領を復興。認められて、関東各地の町村の復興に努める。