平将門 三十七歳
将門には、国府の役人たちのやり方に我慢がならなかった。自分たちの利益だけを追い求め、農民たちからは搾れるだけ搾り取り、賄賂は公然と受ける・・・。
「わしが都にいた時もそうであった。都人たちは、みんなそんなものよ。じゃが、ここ坂東では、あの者たちの思いどおりにはさせぬ」
将門は、兵を集め、常陸国府へと進軍する。坂東の農民の要求を伝え、国府の妥協を迫ったのである。しかし、相手はそのような要求を簡単にのむ輩ではなかった。ついに交渉は決裂した。
将門は、あくまでも穏便にすませるつもりではあった。しかし、将門に従った人々の願いと、時の勢いが、それをそのままでは終わらせなかったのである。ついに、将門の軍勢は、国府の建物に火を放った。そして、常陸国府を落とすと、たちまちのうちに下野、上野に侵入。坂東六ヵ国をその支配下としたのである。
「ここまで来れば、もうあとには引けぬ。我は新皇として立つ!」
この時、将門三十七歳と言われている。この時以来、京の朝廷に対抗する東国の帝として覇を振るうのである。
平将門( ? ~940)
平安中期の武将。藤原忠平に仕える。後に東国で乱を起こし、常陸、上野、下野国府を占拠。下総国猿島郡に王城を築き独立を宣言する。