参謀官兵衛、秀吉に囁く。

黒田如水 三十六歳

備中高松城は、今、水の中にある。これは、秀吉の奇策であった。難攻不落の要害を誇る高松城を落とすために、秀吉は、近くを流れる足守川を堰き止めさせ、城にその水を流し込んだのである。世に名高い、高松城の水攻めである。

黒田官兵衛(如水)、三十六歳。秀吉の参謀として、この工事の指揮にあたっていた。

時に天正十年(1582年)六月、おりからの雨期である。水攻めは、じわじわとその効を見せはじめ、城の陥落はもはや時間の問題となっていた。

しかし、突然の悲報が、秀吉の陣中を見舞った。信長の死であった。その報せを聞いた秀吉、しばらくは声も出ない。その秀吉に、官兵衛はにじり寄ってこう囁いた。

「殿、まさに千載一遇。いまこそご運の開けさせたもう時ですぞ」
官兵衛の情勢判断は、まさに鋭いものがあった。秀吉の心の中をも見通していた。

この時秀吉、はっと我にかえり、にっこりと笑ったと言う。だが、官兵衛のこの鋭さが、後に秀吉から警戒されることにもなったのである。官兵衛一代の不覚とも言えるかもしれない。

黒田如水(1546~1604)
播州姫路生まれ。秀吉の参謀として仕え、能力を発揮する。後に、豊前中津十二万五千石を与えられる。熱心なキリシタンで、洗礼名はドン・シメオン。