勝海舟 三十七歳
安政七年(1860年)正月、三十七歳の海舟は、幕府の軍艦咸臨丸の艦長として、日本人としてはじめて太平洋を自力で横断する。海舟は、これより五年前、長崎の海軍伝習所でオランダの士官から航海術をみっちり仕込まれていた。それゆえの抜擢であった。
彼の航海術は、本の上ばかりのものではない、大しけにあうという経験も積んでいた。ゆえに、乗組員は一致協力して、仕事を果たさねばならないことを、彼は骨身にしみて理解していた。
ところが、咸臨丸に軍艦奉行として乗船している役人たちは、幕府の身分秩序を重んじて何もしないでふんぞりかえっている。海舟は、これに腹が立ってしようがなかった。
「あいつらは、船の中も、お城の中も同じだと思ってやがる」
ある時、役人たちのあまりの身勝手さに、ついに海舟の堪忍袋の緒が切れた。
「バッテイラ(ボート)を降ろせ!俺は今からこいつで江戸へ帰る!」
太平洋のどまん中で、そうどなったと言う。
江戸っ子、海舟の人となりを彷彿とさせるエピソードである。
勝海舟(1823~1899)
江戸、本所出身。長崎で航海術を学び、幕府の遣米使節に艦長として随行。将軍の命により海軍操練所を設立。後に江戸城の無血開城に尽力する。