金ヶ崎の殿(しんがり)。

豊臣秀吉 三十三歳

元亀元年(1570年)信長は越前攻略を開始した。手筒山城、金ヶ崎城を落とし進撃を続ける信長軍。誰もがこのまま朝倉を突けると考えていた。しかし、同盟軍であった浅井長政が突然離反したのである。このままでは、浅井、朝倉の挟み撃ちとなるのは目に見えていた。

「これでは戦にならん。わしは京に戻る!藤吉郎、おまえが殿(しんがり)をせよ」
こう命じるやいなや、信長は鎧を脱ぎ捨て、あっという間に退却していった。

殿と言えば退却する軍の最後尾を守るという重要な役割だが、それは同時に袋のネズミになりかねないことをも意味する。しかし、それを無事果たせば、信長の藤吉郎に対する信頼は一挙に高まるに違いない。

藤吉郎は、こんな機会を待っていた。彼が織田家の中でのしあがって行くには、是が非でも必要な試練なのであった。

「ここがわしの正念場じゃ。派手な武勇を立てようぞ」
その時、藤吉郎秀吉三十三歳。金ヶ崎城にわずか七百騎とともに残された藤吉郎は、これから始まる激戦に武将としての未来を賭けていた。

豊臣秀吉(1537~1598)
尾張に生まれ、織田信長に仕える。最初の名は木下藤吉郎。信長亡き後、その意思を継ぎ、天下を統一。ついには、太閤の位にまでのぼる。