ターヘル・アナトミア翻訳を誓う。

杉田玄白 三十八歳

玄白は、落ち着かなかった。ソワソワしながら前野良沢、中川淳庵らの到着を待っていた。他の人が見たなら、まるで子供のようだと思ったかもしれない。この日玄白は、良沢らと連れ立って小塚原に腑分けを見にゆくことになっていた。

当時、刑場であった小塚原では刑死体の解剖が行われ、医師も願い出れば見学が許されることがあった。しかし、そうそう許されるわけではない。今回の見学は願ってもないチャンスであった。もちろん、玄白は、死体の解剖など見るのは初めてである。

ほどなくして良沢らがやって来た。簡単に挨拶をかわし、さっそく小塚原へ出掛ける。腑分けが始まると、玄白は、オランダの解剖書『ターヘル・アナトミア』と付き合わせてみた。

「な、なんとよく合っておるのだ。全くこの書のままではないか。おや良沢殿、その書は・・・」
よく見ると、良沢も同じ『ターヘル・アナトミア』を持ち、しきりに感心しているのだった。

小塚原からの帰り道、彼らはこの書をなんとしてでも日本語に訳すことを誓い合った。玄白三十八歳、良沢四十八才。『解体新書』の刊行は、これより三年半後となる。

杉田玄白(1733~1817)
若狭国に、外科医の子として生まれる。父のあとを継いで侍医となる。蘭医学への感心を高め、良沢、淳庵らと『解体新書』を刊行する。