日本初の会社「亀山社中」を作る。

坂本龍馬 二十九歳

龍馬は、生まれてはじめての長崎に興奮を隠せなかった。その異国情緒も気に入ったが、長崎は、港が外国とつながっているのがはっきりわかる街なのだ。ここで、龍馬にひとつの構想が浮かんだ。

翌年龍馬は、その構想をさっそく実行に移した。長崎の港を見下ろす亀山に日本ではじめての会社を作ったのである。亀山社中と彼は名づけた。後の海援隊である。

「社には、出資者がいる。とにかく金を集めねばならぬ」
龍馬は、大藩に話をつけて金や船を出させている。

一介の浪人に大藩が出資するとは、現在では考えられないことだが、龍馬の説得には、それだけの魅力があったのだろう。

そして、出資した大藩にも先を見る目があったに違いない。出資者は、薩摩・長州・土佐・越前。明治維新のリーダー的存在となった藩ばかりである。

坂本龍馬(1836~1867)
土佐に生まれた幕末の志士。土佐藩脱藩の後、海運と貿易をめざした亀山社中を組織した。薩長連合の成立にも奔走。後に京都で暗殺される。