江戸を出て、諸国行脚。

小林一茶 二十九歳

寛政三年(1791年)、一茶は、江戸の俳諧、葛飾派の宗匠となる。故郷から江戸に出てすでに十四年がたっていた。

しかし、彼はどうしても、都会と都会人の暮らしには馴染めなかった。ただあくせくとお金を求めて走り回っている・・・これは、人間の本当の暮らしではない。そう感じていたのだ。

「この世の暮らしは、舞台のようなもんだ。人はみな、芝居をしてるんだ」

こんな江戸に嫌気がさしたのか、自らの俳諧に新境地を開くつもりか、翌年、一茶は僧形に身をやつし、西国への旅に出発する。二十九歳の春であった。

宗匠とは言ってもまだ若く、いわば無名の俳人である。足のむくまま気のむくまま、自分の師匠であった二六庵竹阿の門人や知己を訪ねて、関西、中国、四国、九州とさすらいの旅を続ける。

しかし、旅の空にあっても、一茶は生まれ故郷の柏原のことだけは忘れなかった。もしかしたら、この旅も、故郷を求める旅であったと言えるかもしれない。

『初夢にふるさとを見て涙かな    一茶』

小林一茶(1763~1827)
信州柏原に生まれる。家庭不和の中で少年時代を過ごし、江戸に出て、俳諧の道に入る。諸国行脚の後、句集や文集を発表。後に帰郷して柏原に定住する。