大演説で、幕府を勝利に導く。

北条政子 六十四歳

承久三年(1221年)時の上皇、後鳥羽上皇は、北条義時追討の院宣を出す。世に言う承久の乱である。2年前、鎌倉幕府の三代将軍実朝は、甥の公暁に暗殺され源氏の系統が途絶えていた。この機に乗じて、政権を一気に公家の手に戻すことを上皇は狙っていたのだ。

「われらは、朝敵となってしまった。今に京より討手がかかるぞ」
鎌倉の御家人たちの動揺は、激しかった。

その時、御家人たちの動揺を静め、彼らの士気を振るい立たせた女性がいる。初代将軍の妻、尼将軍とも呼ばれた北条政子である。

「みなの者、よく聞け。おまえたちが今日あるも、我が夫頼朝様のお働きがあってこそじゃ。今こそ、その恩に報いる時。すぐ京に上りて、上皇様をおいさめ申すのじゃ」

彼女は、動揺する御家人たちの前で大演説を行った。これを聞いた者たち、みな恩に報いんと、振るい立って上洛したと言う。結局、この乱は幕府側の大勝利に終わる。

時に、政子六十四歳。尼将軍の面目躍如たるエピソードである。

北条政子(1157~1225)
鎌倉幕府の創設者、源頼朝の妻。頼朝の死後、北条氏一門とともに幕府の中心として政治を行った。