伊能忠敬 五十五歳
今日わたしたちは、人工衛星からの写真で日本の姿を知ることができる。しかし、今から二百年前に、簡単な測量機器により、その姿を正確に捕らえた男がいる。伊能忠敬である。
忠敬が測量を開始したのは、寛政十二年(1800年)。時に忠敬五十五歳。五十五歳と言えば、当時の人間ならばすでに隠居の身である。事実、家は長男に任せてあった。人生五十年と言われたこの時代に、忠敬は、前人未踏の難事業に着手したのである。
この事業は、忠敬の先生である幕府天文方の高橋至時の発案であった。その主目的は、地球の大きさを計算することにより正確な暦を作ることにあった。しかし、測量に着手した忠敬は、測量図を作成することの面白さにしだいに引かれてゆく。
「わしもこの年になって、こんな仕事をやるとは考えてもいなかった。しかし、乗りかかった船じゃ。わしの生きている間に、なんとか全国を測量したいものだのう」
この忠敬の願いは十七年後に実現する。忠敬は、七十二歳にして全国の測量を終えるのである。そして、それをもとにした地図『大日本沿海実測図』は、忠敬の死後三年にして完成を見る。
伊能忠敬(1745~1818)
上総国生まれ。商人として酒造りや米取引きに才を発揮。後に隠居して江戸に出、天文学を学ぶ。幕府の命により、日本全国を測量する。