本居宣長相手に、大論争。

上田秋成 五十三歳

「日本は上国、唐、天竺、西欧諸国などは下国である。日本の神こそ世界の神である」
本居宣長は、『馭戎慨言(からおさめのうれたみごと)』でこんな論を展開した。

これを読んだ上田秋成、その一方的な論の展開に腹を立てる。秋成は、国学にも造詣が深く、『往々笑解(おうおうしょうかい)』という本を書き、「おうおうそうかい」とからかいながら宣長の論に反論する。

これに対し宣長はさっそく新しい本を書き、秋成の論に反撃した。しかし、秋成も負けてはいない、再度本を書いて宣長に挑戦する。

「日本が上国で、他の国が下国だとはおかしな話だ。それぞれの国にはそれぞれの神話がある。『古事記』も、そのひとつじゃ。それに、オランダの地図を見れば、日本は小さな島国でしかない。それを、日本が世界で一番だとは、ちょっとうぬぼれじゃないかね」

まさしく、常識論である。秋成は、世界観も当時の人間としては優れていた。この時、秋成五十三歳。世を離れていたが、批判精神あふれる隠居ではあった。

上田秋成(1734~1809)
大坂堂島の紙油商人の息子として生まれる。読本の傑作『雨月物語』を書く。後に大坂で町医を開業。医業を廃して、隠遁生活に入る。