勝海舟 四十五歳
慶応四年(1868年)三月、東海道を東に兵を進めてきた官軍は、ついに、江戸城に総攻撃をかけようとしていた。
官軍の参謀は、西郷隆盛。海舟は、その西郷を薩摩屋敷に訪ねた。いま、まさに江戸百万の市民の運命は、海舟の双肩にかかっていたのである。
「西郷さん、いま、ここで江戸城を討てば、正義に反しますぞ」
海舟は、西郷の正義感に訴えた。
大政を奉還した徳川は、島津や毛利と同じひとつの藩である。ここで徳川を滅ぼし、領地を没収するなら、徳川私政権に変わって薩長私政権ができるだけで、公共の政治ではない・・・と言うのが海舟の論であった。
「徳川を潰すなら、藩という制度を無くすべきだし、そうでなければ、徳川藩は残すべきじゃあありませんか」
ついに、西郷は海舟の主張を承認する。そして、直ちに江戸城の総攻撃を中止させたのである。たったひとりで、江戸の市民と徳川を救った男、勝海舟。この時、四十五歳であった。
勝海舟(1823~1899)
江戸、本所出身。長崎で航海術を学び、幕府の遣米使節に艦長として随行。将軍の命により海軍操練所を設立。後に江戸城の無血開城に尽力する。