吉良邸へ、討ち入り。

大石内蔵助 四十三歳

元禄十五年(1702年)十二月十四日、正しくは十五日早朝。降り続いていた雪もいまは止んで、江戸の町は白い静寂の中に包まれていた。

その雪を踏みしだきながら、本所松坂町吉良邸を目指す男たちの姿があった。赤穂の浪士四十七人である。先頭を行くは、元播州赤穂藩家老 大石内蔵助良雄。

「殿、いよいよ、いよいよですぞ。ご無念を晴らす時がやってまいりましたぞ」

主君の浅野内匠頭が江戸城内で刃傷事件を起こし、切腹を命ぜられてから、一年九ヵ月。内蔵助の懸命な努力にもかかわらず、『お家再興』はならなかった。しかも、吉良上野介にはなんのお咎めもない。『喧嘩両成敗』を訴えた内蔵助ではあったが、それは退けられていた。

内蔵助たちが、吉良邸に到着すると、中はまだ寝静まっていた。
「かかれ!」
内蔵助が、采配を振るう。予ての打ち合わせどおり、表門、裏門から浪士たちは吉良邸へと討ち入ってゆくのであった。

ご存じ、赤穂浪士吉良邸討ち入りである。この時、大石内蔵助、四十三歳であった。

大石内蔵助(1659~1703)
赤穂藩城代家老の子として生まれる。赤穂浪士四十七人の首領となり、主君浅野長矩の仇吉良上野介の邸へ討ち入る。後に、幕府より切腹を命じられる。