間宮林蔵 三十四歳
文化五年(1808年)林蔵は、単身で樺太に渡り、樺太が島か、大陸と陸続きなのかを確かめるため、調査を命じられる。
季節は冬を迎えようとしていた。その時期に樺太調査、しかも単身でとは無謀である。死にに行けと命じられたようなものである。しかし、これは実は林蔵自身が志願したことでもあった。
この年の春、林蔵は上役と二人で樺太の一部を調査した。
「この地を調べるには、日本の役人として行ってはだめだ。そこの住む民と親しくなり、彼らの助けを得なければ、成功は望めぬ」彼はそこで、未開地の調査の難しさを、痛切に感じていたのである。
勇んで樺太に渡った林蔵の前に、日本の人間には想像もできない冬の厳しさが立ちはだかった。しかし、林蔵は親切な土地の長に助けられ、その冬を無事に過ごすことになる。
次の春、林蔵は土地の人々の援助を得て、樺太の西岸を北に向かって進んだ。そしてついに、その目で樺太は半島ではなく、島であることを見とどけたのである。林蔵、三十四歳であった。
間宮林蔵(1775?~1844)
常陸国でタガネ職人の子として生まれる。幕府に出仕し、北海道に渡る。後に幕府の命により、単身で樺太を調査、間宮海峡を発見する。