平賀源内 三十四歳
世は田沼時代。賄賂政治の時代とも言われるが、新しい文物、知識に対して人々が大いに興味を持った時でもあった。
そんな時代の風を受けて、『博覧会』を開催した男がいる。風来山人こと平賀源内である。源内は、新し物好きであった。特に西洋の物と言えばすぐに飛びついた。こんどもそれであった。
「西洋には、博物学と言う学問があるそうだ。こんどわしは、ひとつそいつをやってみようと思っているのだ」
源内は、故郷で早くから本草学を学んでいた。それは、薬や食べ物となる植物、動物、鉱物などの研究をする学問である。彼は、その本草学で西洋の博物学を実践しようとした。
「諸州で採れる珍しい品々を一堂に集めれば、面白いかもしれませぬ。先生ぜひやりましょう」
源内は本草学者田村藍水とともに、江戸で『物産会』を開催する。現代の『博覧会』である。
とくに、宝暦十二年(1762年)源内が主催した『壬午の物産会』は盛況で、千三百種を越える薬種、物産が集まったと言う。この時、源内三十四歳であった。
平賀源内(1728~1779)
讃岐国で下級武士の子として生まれる。藩命により長崎留学。後に江戸に出て『物産会』開催。科学機器、西洋画、陶器なども研究。戯作者としても有名。