日本一の蘭学塾『適塾』を開く。

緒方洪庵 二十八歳

幕末、蘭学を学ぶ若者はみな、ひとつの学校に集まった。緒方洪庵の『適塾』である。洪庵は、二十八歳にしてこの『適塾』を開く。彼には、ある理想があった。

「勉学とは、人から押しつけられるものではなく、自分でやりたいものをやればよいのだ。そうすれば、できる人間は自然と成長してゆく」

洪庵自身の号を適々斎と言う。「おのれの心に適う(かなう)ところを楽しむ」と言う意味である。彼の理想は、この号にも現れている。この洪庵のつくった塾を『適々斎塾』略して『適塾』と言う。

洪庵は、決して門人を叱らなかった。そして、門人には好き勝手に勉強をやらせていた。門人の方から「先生これについて教えてください」とやって来ると、親切に教えていた。

では、門人のことには無関心かと言えば、そうではない。就職の世話などは、実に熱心に行っているのである。

この『適塾』は、福沢諭吉、大村益次郎など幕末から明治にかけて活躍する多くの人材を輩出している。

緒方洪庵(1810~1863)
備中国出身。蘭学者・医学者。足守藩藩士の子として生まれる。長崎にて蘭学を学び、後に適塾を開く。明治維新の原動力となった多くの人材を育成する。