シーボルト 二十七歳
シーボルトが長崎出島に上陸したのは、文政六年(1823年)、二十七歳の夏。冒険心の強いエネルギッシュな若者であった。
シーボルトは、大学時代に日本について紹介した書物に親しんでから、東洋の知られざる国日本に、強い関心を持つようになっていた。その憧れの国に、とうとう来たのだ。
長崎は、山が海まで迫っている小さな港である。船が港に近づくにつれて、シーボルトの目に、夢にまで見た日本の景色が飛び込んできた。美しい緑と、それに調和するように建てられている家、海には漁船だろうか、中国のジャンクとは少し違った小さな船が浮かんでいる。
「なんて魅力的な所だろう。山も、海も、緑も、家も、そして人も、好奇心をそそられるものばかりだ。このおとぎの国の素晴らしさを見たら、みんななんて言うだろうか」
長崎に上陸したシーボルトは、見るもの、聞くものを次から次へと吸収し、集めた。六年後、日本から追放されるまでに、膨大な資料を収集し持ち帰ったのである。
これらの資料は、後に、日本人に改めて日本文化の素晴らしさを教えてくれるものとなった。
シーボルト(1796~1866)
ドイツ人医師。オランダ政府より日本研究の依頼を受け来日。鳴滝塾を開き、医学・博物学を教える。国禁の地図所持が発覚し追放。後に再び来日する。