葛飾北斎 十九歳
浮世絵が全盛期を迎えようとしている頃、江戸の本所に類まれな絵の才能を持つ少年がいた。名は鉄蔵、後の葛飾北斎である。
十九歳、北斎は絵師を志し、役者似顔絵の第一人者である勝川春章の門人となる。まもなく北斎は、春朗と号して浮世絵界に登場した。しかし、画家のひとりになれたと喜んだのも束の間のこと、彼は、しだいに自分の描く絵がつまらなく思えてくるのであった。
「違う!違う!こんなのじゃない。こんな絵は、ただの紙と墨だ」
北斎は、自分の描きたい絵を求めて、ひそかに狩野派の画法を学びはじめるが、それが師匠の勝川に知られるところとなり破門されてしまう。さらにはその狩野派からも離れ、次から次へと画壇を渡り歩き、絵の修行を続ける。
この頃、北斎は自画像を書いている。腕を組み何やら考え事をしているような構図である。「絵の世界に入ったはいいが、自分の本当に描きたい絵とはいったいどんな絵なのだろう」そんな心を描いたのであろうか。
晩年に自らを『画狂老人卍』とまで号した北斎の、この求め続ける姿勢は終生変わることがなかった。
葛飾北斎(1760~1849)
江戸本所の出身。多くの師に学び、『富嶽三十六景』『諸国滝廻り』など多くの作品を残した。ヨーロッパの絵画にも大きな影響を与える。