初陣にて頭角を表した、一代の英雄。

武田信玄 十五歳

天文五年(1536年)十一月、武田信虎率いる甲州軍は、平賀源心入道守る佐久海ノ口城(長野県)を攻めた。この時、信虎の嫡男晴信初陣。初めての戦に熱き血をたぎらせていた。晴信十五歳。後の武田信玄である。

戦いが始まり一月余り。城は落ちる気配も見せない。ついに軍は撤退を決定した。

「父上、殿(しんがり)はわたくしにお任せください。」

こう申し出たのは、十五歳の晴信である。殿といえば、大役。歴戦の勇士と言えども、そう簡単に勤まるものではない。父信虎はとりあわなかった。しかし、「なんとしても、初陣の功を立てねばならぬ」そう考えていた晴信は、無理に頼み込み、この大役を引き受けてしまった。

そして、父の軍勢が引き上げるやいなや、手兵三百を率いて電光石火のごとく海ノ口城に夜襲をかけたのである。甲州勢の撤退を見て警戒を解いていた城はひとたまりもない。あっけなく陥落した。

『その疾きこと風の如く・・・』と軍旗に記した信玄ならではの、若き日のエピソードである。

武田信玄(1521~1573)
甲斐の武田信虎の嫡男として生まれる。父を駿河に追放して自立、後に五ヵ国を支配する戦国大名となる。上杉謙信との川中島の戦いはあまりにも有名。