30年代生まれの、大衆向け高級車。
ルノーが1933年から1938年まで生産していた高級車。2シーターのオープンカーに大型車のエンジンを搭載し、時速125キロを出した。ビバスポール(Viva Sport)という名前からもわかるようにスポーツドライビングを楽しむための遊び車である。
当時のカタログにはエアロダイナミクスの文字が踊っていたそうで、1930年代流行の流線型スタイルを取り入れたスタイリッシュなデザインが売りであった。
フランスの自動車メーカーとしては老舗であったルノーも、当時は、シトロエンやプジョーなどの競合他社の追い上げを受けていた。ルノーは老舗としての技術力に対する信頼は得ていたが、他社に比べて古くさいというイメージがあったようだ。
そこで、このビバスポールの販売にあたっては、最新のスタイル、技術を取り入れた車であることを強調した。
1933年のパリモーターショーでは車体をカットして中を見せたビバスポールが展示された。車のエンジンやシステム、インテリアを一目で見ることができる展示は当時まだ珍しく、大いに注目を浴びることになる。
1930年代という時代と自動車。
1930年代と言えば、大恐慌の嵐から始まり、第二次世界大戦の勃発で終わる時代。明るく、幸福な時代とは言い難かったが、大衆文化が一気に広がった時代でもある。
またそれは、一部の特権階級やお金持ちでなければ楽しめなかったものが、一般大衆でも楽しめるようになったということも意味している。
自動車も例外ではなかった。それまで大富豪の道楽であった自動車の運転を、普通の人でも楽しめるような社会状況になってきたということである。
自動車を一般の人々の買える物にしたということでは、1908年に登場し、大量生産方式の導入で価格を下げたアメリカのフォードT型が有名だ。しかしそれは、単に買える価格の車が存在するということであり、欲しい車を選んで購入できるということではなかった。
もちろん、この時代、1930年代でも自動車は簡単に購入できる物ではなかったのは確かである。しかし、「とても持てるわけはない」ではなく。「いつかは自分も好きな車を」と思えるような時代になっていたのだ。
庶民がドライブを楽しむために。
ビバスポールは高級車としての位置づけではあったが、競合する他社の車よりも低めの価格設定であった。お金に糸目を付けない人々ではなく、一般の人々にも頑張れば持つことができそうだと感じさせる値段にしたのである。
しかも、1920年代にはアメリカで自動車ローンがすでに始まっていた。1930年代のフランスでもローンは利用できたであろう。昔ではとても叶えられなかった夢を形にする、そんな生活スタイルの基盤がこの頃にはできあがっていたのだ。
ビバスポールは、2人乗りのオープンカーである。生活の必需品ではなく、ドライブというレジャーのための車だ。そうした車を庶民が購入できるということが、この時代の素晴らしさであり、自動車がいよいよ庶民のものとなりつつあるという点を実感させる。
ビバスポールの広告を見るとそれがさらによくわかる。
女性が登場する広告を展開した。
ビバスポールの広告には女性が登場する。クローズアップの女性の顔と彼女が運転する車の写真とをデザインした広告であり、そこにla joie dans les yeux, celle d’avoir une…というキャッチフレーズが入っている。
直訳すると「目の喜び、それを持つことの喜び…」という意味だ。つまり、「見て美しいこの車のオーナーにあなたもなれる」と訴えているのだろう。
いずれにしても、この広告は車の性能や機能で差別化を図っているのではなく、あなたも持てると訴えるイメージ広告である。そして、自動車という製品がいかに一般的なものとなっているかの証拠とも言える。
さらに、この後ルノーは、女性の航空パイロットとして当時の世間の話題をさらっていたエレーヌ・ブーシェのスポンサーとなり、この車の広告にも起用した。
エレーヌ・ブーシェは、1934年の8月にはレース用の航空機で女性の速度記録である時速445kmを達成。世界最速の女がビバスポールを運転する姿は最高の宣伝となった。
ビバスポールは、女性向けの車?
さて、本来自動車は男性が好むものである。この時代も当然そうなのだろうが、ビバスポールの広告には女性が登場する。ではこの車は女性をターゲットとしていたのだろうか。
1930年代にもなってくると、働く女性が増え、女性参政権の運動も盛んになった。何かに付けて女性の活躍が目立つようになってきていたのである。車の広告に女性が登場するのはそんな社会状況と無関係ではあるまい。確かに女性に乗って欲しいという思惑はルノーの方にもあったのかもしれない。
とは言うものの、自動車であるから日用品のように気軽に購入できるものではない。特にビバスポールは高級車である。それなりの値段はした。やはり話題作りとして、広告に女性を登場させたのだろう。
しかし、自動車ショーのコンパニオンのような添え物ではなく、活動的な女性のイメージでビバスポーツを語ろうとしたところは、現代の自動車のセールスプロモーションやCMにも繋がる新しさであると言えるのではないだろうか。
しかし、この少し後、時代は男性中心の世界へ、そして重苦しい世界へと変わっていってしまう。
1939年9月、ナチスドイツがポーランドへ侵攻し第二次世界大戦が勃発するのである。ルノー ビバスポールは、そうした暗い時代を前に咲いた艶やかな花であったのかもしれない。一般大衆に、自分も高級車を運転できるという明るい希望を抱かせたのである。