福祉車両は、ソ連ならではの車!?
なぜソビエトではこのような福祉車両が製造されたのだろうか。ソ連は、第二次世界大戦では勝利はしたが、人的被害の最も多かった国でもある。身体障害者も多く抱えていた。こうした人に向けてS-3Aを始めとする福祉車両を用意したのであろう。
ソ連は共産主義国家である。ゆえに、国民の生活を管理したり保証したりすることを重視していた。社会福祉に関する政策も充実していたと言える。S-3Aなどのマイクロカーは、社会福祉制度を通じて無料で、あるいは大幅な割引価格で身体障害者に貸与されたのである。
障害者がマイクロカーの使用を申し込むと、社会福祉団体からまず5年間貸与される。そして5年が過ぎ返却すると、また新しいマイクロカーが送られてくるといったシステムになっていた。ソ連は、障害者に対する保護が手厚かったことがわかる。もちろん身体障害者でない人は、公式には使用できないことになっていた。

ラトビアにあるリガ自動車博物館には、ソ連の福祉車両が展示してある。左が1967年製のS-3A、右が1954年製のS-L1だ。両車とも自動車の歴史的遺産としての価値が認められているのである。なお、S-L1は、S-3Aの前身の三輪自動車である。
【Nenea hartia, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
このようにS-3Aをはじめとするマイクロカーは、身体障害者へ貸与するシステムになってはいたのだが、やはり物事には抜け道がある。この車を個人所有できる人もいたらしい。
そして所有できる人がいれば、売買の対象になるわけで、売買の対象になれば、身体障害者ではない普通の人もこの車を持てることになるのである。
冷戦下のソ連と言えば、計画経済により常にモノが不足している状態にあった。つまり、買い手がお金を持っていても、買いたいモノがすぐに手に入らない社会だったのだ。自動車もしかりである。お金があり、車が欲しいと思っても、購入待ちで何年も待たされたのである。
そこで、自家用車が欲しい庶民にとっては、マイクロカーのS-3Aもりっぱな自動車に見えただろう。身体障害者向けとは言うものの、公道を時速60kmで走ることができるのだから、買い物や通勤など普通に使う分にはS-3Aで十分なのである。何らかのルートで手に入れた庶民もいたのではないだろうか。

