Simca Aronde

スマートなフランス車と言えば、この車。
フロントグリルとライトのデザインがなんとも絶妙。愛らしささえ感じさせる車だ。これは、フランスの自動車メーカーシムカのアロンドである。しかも、なかなかスマートな印象を持つ車でもある。
アロンドが登場したのは1951年。1951年と言えば、第二次世界大戦が終わってまだ6年である。戦前に開発された車を製造、販売していたメーカーがまだ多かった中で、シムカは、この戦後型のスマートなスタイルの車アロンドを売り出したのだ。
この頃、アメリカをはじめ各国の自動車メーカーからは、戦後型デザインの車が登場するようになってきていた。それは、エンジンのカバーであるボンネットとタイヤを覆うフェンダーやヘッドライトが一体となったデザインで、ポンツーン型と呼ばれている。シムカは、フランスのメーカーの中ではいち早くこのスマートなポンツーン型を採用するのである。

車高が低めで、ボンネットとライトが一体になったポンツーン型。シムカは、第二次大戦が終わって数年でこのスタイルを登場させた。しかも側面の窓がピラーレスで、とても開放的だ。この点については、本文で後述する。
戦後フランス車のスタイルは・・・。
フランスの自動車メーカーと言えば、ルノー、シトロエン、プジョーなどが大手としてあげられる。最大手ルノーの戦後初のヒット車は、1946年登場のルノー4CVであり、フォルクスワーゲンのビートルに似た丸い車だ。日本でも日野自動車が生産し、その形から亀の子ルノーと呼ばれていた。
また、シトロエンからは、あの個性的なスタイルのシトロエン2CVが1948年に登場していた。2CVと言えば今でこそフランスの国民車として親しまれているが、発売当初はその特異なスタイルから“乳母車”とか“こうもり傘”とか言われたものである。
さらにプジョーが1948年に投入したプジョー203は、戦前の車よりは新しさがあったが、まだボンネットが高く全体的に丸みを帯びたデザインで、やはり保守的なイメージが拭えなかった。

1948年製のルノー4CVである。全体的に丸く、フォルクスワーゲンのようなスタイルである。フェンダーとライトが一体となっているが、まだ戦後型のスマートさは見られない。
【Lars-Göran Lindgren Sweden, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

シトロエンが戦後に製造したエコノミーカー、2CVである。新車発表の時、奇妙なデザインにお客が呆然としたという話がある。でも、ロングセラーとなり、シトロエンを代表する車とも言われるようになる。
【Thesupermat, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
こうした大手の戦後初の新型はフランスの庶民に受け入れられヒットはしたが、シムカ アロンドのスタイルと比べるとお世辞にもスマートとは言い難い。アロンドにはやはりアメリカ車のようなカッコよさがあった。
そんな新しさがユーザーの支持を受け、アロンドは、1951年から1964年まで13年間製造、販売された。その13年間に、基本的なスタイルは変えずに何回かモデルチェンジを行っているが、このページの最初に載せた写真は、1955年登場の第2世代アロンド90Aである。第1世代よりもさらにスマートさを際立たせたデザインとなっている。
フィアットのライセンスメーカーだったシムカ。
では、なぜシムカは、このように新しさ、スマートさにこだわったのだろうか。それは、シムカという自動車メーカーの成り立ちが大いに関係している。
シムカが生まれたのは、1934年。イタリアの自動車メーカーフィアットの車をフランスで販売する会社であった。とは言っても、輸入ディーラーではなく、フィアット車の各部品を輸入し組み立てて売るという、ライセンス生産を行うメーカーであった。
当時のフランスは、自国の自動車産業の保護のために輸入車に高い関税を掛けていた。したがってイタリアの車をフランスで売るには、関税を免れるため、完成した車をそのまま輸入するのでなく、部品を輸入し組み立ててフランスの車として売る必要があったのだ。
こうしてシムカは戦前にはイタリアの人気車フィアット500をシムカ5という名前で、さらにフィアット1100をシムカ8として登場させフランスの市場でヒットさせるのである。

1936年の広告である。フィアット500は小さなビッグスターだと謳っている。出演しているのは当時の人気女優カルラ・スヴェヴァ。
【DV, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】

フィアット500そのままの車である。これをシムカはフランスで組み立て、シムカ5という名前で販売した。
【Alexander Migl, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
大戦後、シムカは自社開発をスタート。
1939年に第二次世界大戦が勃発し自動車の生産はストップするが、大戦が終わると、シムカはいち早く自動車生産を再開する。それは、各メーカーの工場が空襲などで壊されていたにもかかわらず、幸運にもシムカの工場は戦災を受けていなかったからである。
そしてシムカはここで、会社の方向性を変更する。フィアット車のライセンス生産ではなく、戦後の社会に向け独自の設計、開発による車を投入することにしたのである。では、独自の車としてどんな車を出すべきか。
「これからは平和な時代だ。ショールームに来る顧客は車のスタイルを気にするに違いない!」シムカの開発陣はそう確信したのだろう。そこで、ポンツーンスタイルである。フランスの他の自動車メーカーにはない新しさや個性を、シムカはこの車アロンドに注ぎ込んだのだ。

上の写真は1960年のオーストラリアでのスナップである。きっと家族が休日にドライブに来たところなのだろう。
シムカは、アロンドの開発・製造にあたり、家族のこんな平和な生活には、スマートで個性的なアロンドがピッタリ・・・と顧客に訴えたかったのである。
【kenhodge13, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】
ハードトップ車もラインアップ。
さて、シムカ アロンドの新しさはもう一つある。側面の窓に注目してほしい。そこには柱、つまりピラーがない。これは、ピラーレスハードトップである。
ハードトップとはよく聞く自動車用語だが、ハードトップとは何か。幌の屋根を乗せたオープンカーをソフトトップと言うが、金属の屋根を持ちながらそんなソフトトップ車を連想させる車をハードトップと言うのである。
このハードトップ、元祖はアメリカのキャデラック クーペドゥビルで、1949年に登場している。そして、ピラーレスハードトップ車は、50年代、60年代にアメリカ車の間で大流行することとなる。
アロンドにハードトップクーペがラインアップされたのは1953年で、グランラルジュという愛称も付けられた。アメリカに遅れること4年であり、これもまたヨーロッパ車では早めの導入と言えるだろう。
2013年にフランスのヨンヌで行われた旧車イベントに登場したアロンドグランラルジュである。運転席側の窓が開けられており、その後ろの窓との間に柱(ピラー)がないことがよくわかる。
【François GOGLINS, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

一人の男性がアロンドのピラーレスの窓から外に出ようとしている。ハードトップクーペにはこうした便利な使い方もあるというのを示そうとしたのだろうか。なお、車のフロントデザインを見るとこのアロンドは初期の型である。
【Harry Pot / Anefo, CC0, via Wikimedia Commons】
このようにシムカ アロンドは、スマートなスタイルでしかもアメリカで流行のハードトップ車をラインアップするとてもトレンディな乗用車となったわけである。そして、アロンドのこのカッコよさは大いに受けた。シムカは1950年代から60年代にかけて急成長し、フランス第二位の自動車メーカーへと成長する。
その後シムカは、1970年にアメリカのクライスラーと合併することになるのだが、戦後の一時期急成長できたのは、やはりシムカ アロンドの成功によるところが大きいだろう。
戦後のフランス車と言えば、変わったスタイルの個性的な車が多い印象を受けるが、アロンドのようなスマートな車も存在し、大いに人気を得ていたことも忘れてはならない。
1956年製のアロンドグランラルジュを紹介する動画である。シムカというメーカーの話から始まり、アロンドの車種の紹介、走行動画など盛りだくさんの内容である。森の中の道を走るアロンドの姿が美しく撮影されている。