ルノー12

ルノー 12
ルノー 12 1969年

世界を目指した普通の車。

常識的で、奇をてらうことのないデザイン。フロントエンジン・フロントドライブつまりFF車で室内は広く、メカニズムもコンパクト。ルノー12である。12はフランス語でドゥーズと発音するので、ルノードゥーズでもある。登場したのは1969年で、1980年まで製造されていた。

なぜ、普通の車なのか。

ルノーといえば19世紀から自動車を作り続けてきたフランスの老舗メーカー。フランスのメーカーらしく、デザインやメカニズムに凝った車を数多く出してきた。

第二次大戦後は、大ヒットしたルノー4CVに始まり、ルノー4、ルノー8など、特に小型車の分野で個性的な車を登場させており、ルノー12は、ルノー8とルノー16の間を埋める車として開発された。

ルノー 12のスタイル
ルノー12のスタイル
特に個性的なデザインではないが、70年代初頭の車としてはスマートでもある。
ルノー12と他のルノー車が並んでいる
ルノ−12とルノー車
真ん中がルノー12。その奥がルノー4、手前がルノー16である。3台を比較すると、12が普通のデザインであることがわかる。
Draco2008 from UK, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】

ルノー4はコンパクトなデザインの人気車、ルノー8はリアエンジン車で4輪ディスクブレーキを採用した車、またルノー16は当時まだ珍しかったハッチバック車であった。こんな個性的な車のラインナップの間を埋めるルノー12に求められたのは何か。それは“普通の車”であった。

メカニズムは一般的で、デザインも奇抜ではない。でも、乗り心地はよく、荷物も多く積め、経済性もある。さらに派生車種も作りやすい・・・。こんな目標をもとにルノー12の開発は進められた。

よく考えると難しい注文だが、単純に言えば、ファンに大いに受ける車ではなく、大多数の人が及第点を出すような車を作れということである。

ヒットしたルノー12。

このようにして開発されたルノー12は、普通の外観、機構を持つ常識的な車となった。個性的な車の多かった当時のルノーのラインアップの中では、この普通さがかえって目立つ存在ともなったのだから皮肉である。

しかし、こんな普通の車ではあったが、その乗り心地のよさやパワフルな走りが評判となり、ヒットすることになる。

ルノー12は、通常のセダンを始めワゴンやパネルバン、ピックアップなど車種も幅広く作られた。また、エンジンを強化し、4輪ディスクブレーキを備えたスポーツタイプのルノー12ゴルディーニも派生車種として有名である。

最高時速は185kmを出し、鮮やかなブルーに白のストライプという印象的なカラーに塗られたゴルディーニは、人々から注目され、レースにも出場した。あまりよい成績は残せなかったようだが、普通の車を目指していながらこうした遊び心も忘れないのは、やはりフランス車ルノーの心意気なのだろう。

ルノー12ゴルディーニ
ルノー12ゴルディーニ
ルノー12のスポーツタイプとして登場。ブルーに白いストライプが眩しい。レースにも出場した。なお、ゴルディーニとは、車のチューンアップメーカーであり、ルノーの一部門となり多くのルノー車のチューンアップを行っている。
Bergfalke2, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

ルノー12のもうひとつの目的とは。

さて、普通の車を作るという注文には、もうひとつの目的もあった。それは、国外での生産に対応できる車という目的である。

ルノーには、自社の車を外国で売る、それも地元のメーカーにライセンス生産させるという戦略があった。そうなってくると、どこの国でも生産できるということが必要になってくる。最新の設備に乏しい国でも効率的に生産できる車でなければならず、機構やデザインが常識的で製造しやすい車が求められたのである。

ルノー12の常識的な機構やデザインは、海外でのライセンス生産にも適合し、多くの国で現地生産されるようになった。

ルーマニア、ユーゴスラビア、トルコ、ブラジル、コロンビア、アルゼンチン、オーストラリアなどを挙げることができるが、これらの国の現地の自動車メーカーや、現地のメーカーと提携したルノーの現地法人などによって生産されたのである。

ダチア1300
ルーマニアのダチア
ルーマニアでは、ルノー12は、現地の自動車メーカーであるダチアが製造した。写真は1973年製のダチア1300ベルリナである。
dacia24.de, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
ルノー12の広告
アルゼンチンのルノー12の広告
1971年の広告である。白砂の上に赤い車と赤い衣装をまとったモデルを配置。ルノー12を未来的なイメージで訴求している。なお、アルゼンチンではルノーの現地法人によって製造された。
Here, Public domain, via Wikimedia Commons】

ルノー12はきわめて普通の設計であったため、どこの国でも量産ができた。しかも現地に合わせた改良も施され、独自の名前を付けて販売され、各国で人気を得たのである。

ルノー12のフランス国内の製造は1980年で終了したが、国外では2000年代の半ばまで生産が続けられていた。それだけ人気の車であったし、生産も行いやすかったのである。結局累計で250万台も生産されたヒット車となる。

現地生産を考えた車づくりは70年代から。

自動車の輸出を現地生産に切り替え、コストを抑えながら相手国の事情にあわせた大量生産・販売を行うという方法は、日本の自動車メーカーの得意技というかお家芸である。

その日本メーカーが盛んに現地生産を行うようになったのは1980年代に入ってからだ。ところが、フランスのルノーでは、1969年に登場したこのルノー12ですでに国外でのライセンス生産を考えた車づくりを行っていたのである。

フランスをはじめヨーロッパの国では、第二次大戦後も世界中に植民地があり、植民地向けの自動車の現地生産を行っていた。車を輸出する際に現地生産を考慮するというのは、そんな伝統から来ているのかもしれない。

ルノー12の宣伝フィルム
1969年の発売当初のものと思われる。車の各部を舐めるようにして撮影し、精悍なイメージを演出している。

また、車を世界各地で製造し売るということに関しては、アメリカの大手自動車メーカーGM(ゼネラル・モーターズ)が、1970年代初頭に提唱した「グローバルカー構想」に近いものがある。いわゆる世界戦略車である。

それは、同じ基本的なプラットフォームから各国にあった車を各国で製造するという戦略であり、当時、世界共通の基本構造を持つ車が各国で生まれている。こうした世界戦略車的な考え方をルノーがすでに持ち、いち早く実現させていたという点も特筆できるだろう。

ルノーにしてみれば、世界戦略といった大袈裟なものではなく、自社の車をいかにたくさん売るかということを考えていただけなのかもしれない。しかし、ユーザーニーズ云々より、どこででも作りやすいという点を優先させたルノーに拍手を送りたい。

GMの世界戦略車はあまり長続きはせず、いつのまにか消えてしまったが、ルノー12は2000年代まで、30年以上も作り続けられたのである。

ルノー12のの動画①
プロトタイプに始まって各年に発表されたモデルをカタログや広告などを使って紹介。現地のメーカーで製造された車も出てくる。そして、最後にはルノー12のミニカーまで登場する。このようにルノー12には熱烈なファンが存在する。
ルノー12の動画②
こちらは車の歴史を紹介するスペインの動画チャンネルのものである。この動画も歴史を詳しく紹介している。なお、登場する車はスペインの現地法人であるFASAルノーが製造したルノー12Sである。