Morris Minor

これぞ、イギリスらしいイギリス車。
何というかこの車、表情がある。それもオジさんの顔である。決してスマートではないが、愛嬌がある。さらに、後部がすごいことになっている。キャンピングカーのようにも見えるが、これは荷室であり、この車は商用車なのだ。でも、こんなに背の高い荷室、一体何に使われたのだろうか。
そんな車の用途はとりあえず後回しにして、まずは、この車そのものにスポットを当てよう。愛嬌あるオジさん顔のこの車は、イギリスの自動車メーカー モーリス自動車の小型車で、名前はマイナーと言う。登場したのは1948年。第二次世界大戦後初の一般向け小型車、いわゆるファミリーカーとしてモーリスが売り出した車である。

もともとマイナーは小型乗用車だった。そのオジさん顔の乗用車の前部はそのままに、後ろに大きな荷室を付けた商用車となっている。こうした形式の車は、フランス語ではフルゴネットと言う。これはイギリスの車だから、パネルバンあるいはデリバリーバンであろう。それにしても背が高い。
20年代に急成長した自動車メーカー、モーリス。
モーリス自動車とは、自転車製造業だったイギリス人ウィリアム・モーリスが1913年に創業した自動車メーカーである。このメーカー、その始まりは、エンジンをはじめとする自動車部品を他のメーカーから買い入れ、工場で組み立てて販売するというスタイルの会社であった。つまり、自社で最初から開発するのではなく、他のメーカーのいいとこ取りであったのだ。
しかし、そうしたスタイルの方が市場のニーズにも早く対応できるからなのだろう、モーリス自動車は、高い性能の車を低価格で売ることで評判となり、業績を伸ばしていった。1920年代の中頃までには他のメーカーを傘下とする大メーカーへと成長し、イギリス国内のシェアのほぼ半分を獲得するまでになるのである。
そして大メーカーとなるにつれ、モーリス自動車は、自社オリジナルの車の開発も行うようになる。モーリス マイナーもそうした車の一つである。
マイナーは、1948年に登場した車であるわけだが、実は、マイナーという名前の車は、その20年前の1928年にも存在している。それは、新設計のエンジンを搭載した小型車で、モーリスが小型車市場に参入し、1930年代の不況を乗り切るための切り札となった車でもあった。

アイルランドのウォーターフォードにあった代理店の前に並ぶモーリス車。撮影されたのは1928年であり、この頃にはモーリスはすでにイギリス最大の自動車メーカーだった。
【National Library of Ireland on The Commons, No restrictions, via Wikimedia Commons】

1928年から1934年まで製造、販売され、コンパクトで低価格な小型車としてヒットした。写真は、1933年製の2ドアサルーンである。
【Steve Glover from Bolton, Lancs., England, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】
そんな点でマイナーは、モーリスとしても思い入れのあった車だったのだろう。第二次大戦が終結し、戦後初の車として開発した新型車の名前にこの“マイナー”を復活させたのである。
戦争中から開発が始まった戦後のマイナー。
戦後型マイナーの開発が始まったのは、第二次大戦中の1941年のことだった。その頃、戦争はまだ終わる気配を見せておらず、イギリスは戦時体制にあった。したがって民間の自動車メーカーでの乗用車の生産は禁じられていた。
しかし、戦争はやがて終わるはずであり、終わり次第すぐに新しい車を売り出せるよう準備しておかなければならない。それがモーリス自動車の首脳陣の考えであった。そこで、新型車開発のプロジェクトを秘密裏にスタートさせるのである。
開発の目標は、庶民向けの経済的な小型車を作ることだった。それも、値段に見合った車ではなく、より高価な車と同じかそれ以上の車となることを目指していた。
戦争が終わって3年後の1948年、広い室内空間を持ち、乗り心地よく、ステアリング操作もしやすい小型車が出来上がる。これぞモーリスの戦後型という車、新モーリス マイナーが誕生するのである。

当時の販売店の店頭に掲げられたものであろう。マイナーを宣伝する看板である。キャッチフレーズが泣かせる。世界で一番の小型車なのである。Biggest small car!というのが効いている。
【Period Morris Minor advertising sign at The Ploughman, Werrington by Paul Bryan, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons】
庶民に大いに愛されたモーリス マイナー。
モーリス マイナーは、この後、メーカーの合併や再編により製造メーカーは変わっていったが、1971年まで長い期間製造、販売され、100万台以上を売り上げた最初のイギリス車ともなった。庶民の車として大ヒットしたのである。
イギリスを代表する小型車と言えば、あの名車ミニがある。ミニは、1959年にモーリスから登場しヒットした車だ。実際に、モーリス マイナーの後継車でもあった。しかし、そのミニが発売されてから10年以上もマイナーは生産が続けられたのである。やはり、それだけ愛された車だったのだ。

左が1958年製、真ん中が1962年製のコンバーチブル、右が1969年製である。ほとんど変わっていない。やはりこのスタイルが愛されていたのである。
【andreboeni, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】

マイナーのバンタイプである。それほど背は高くない普通のバンだ。イギリスのオックスフォードにある街チョルシーで撮影されたもの。マイナーはやはりイギリスの町並みにしっくりと合う車だ。
【Morris Minor Van in Cholsey by Des Blenkinsopp, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons】
あるイギリスの自動車雑誌で、モーリス マイナーは「第二次世界大戦後、イギリスが再び道路を走るようになった主な方法である。」と論評された。戦後にイギリスの人々が乗るようになった最も一般的な車が、このマイナーというわけである。本当にイギリスらしいイギリス車は、ミニではなく、マイナーだと言う人も多いようだ。
背の高いマイナー、一体何に使われた?
さて、このページで取り上げている背の高いモーリス マイナーだが、一体どんな用途で使われたのだろうか。荷室の側面を見るとJOHN COLLIERと書かれている。これは、1907年創立のイギリスの紳士服ブランドの名である。つまり、このマイナーは、紳士服店の車であることがわかる。
しかも車のデザインは、1956年から生産されている第3世代のモーリスマイナーの形であるので、この車は、紳士服店JOHN COLLIERの1950年代の配送車ということになる。1950年代、JOHN COLLIERはイギリスで400店以上の店舗を展開していた。きっとこの背の高いモーリス マイナーは、国中で見られたことだろう。

撮影されたのは1963年。当時行われたスクーターの耐久レースイベントのパレードの様子を撮影した写真である。見物人の後ろにJOHN COLLIERが写っている。スクーターを荷台に載せてパレードに参加しているのは、モーリスマイナーのピックアップだが、この車はパレード参加車であり、紳士服店のものではないようだ。当時はマイナーは本当に一般的な車だったのだ。
【H. Brain (ne Holland; owner of photograph), CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
このように、イギリスらしいイギリス車モーリス マイナーは、紳士服といういかにもイギリス的な商売の車にも使われていたのである。では、なぜ背がこんなに高いのか。
背の高い車にはGOWN VANという別名もある。そう、ガウンである。ガウンは、家でくつろぐ時の部屋着を思い出すが、英語のガウンには、式典で着る式服や裁判官、大学教授など公的な職業の人が着る職服の意味もある。つまりこの車は、式服や職服など丈の長いフォーマルな服の配送に使われたのである。丈の長い服をそのまま収納するため背が高いのだ。
長い式服や職服を着るのはいわば上流階級したの人々である。イギリスなので子爵とか男爵とか爵位を持つ人も多いだろう。そんな人たちの服を庶民派の車であるモーリス マイナーで配送したのである。もちろん、こうした服を着る人たちは、モーリス マイナーのような庶民の車には乗らないだろうが・・・。
庶民の車モーリス マイナーを、上流階級向けの商売に使うというこのあたりの感覚がまた、イギリス人が大好きなブラックジョークのひとつでもあるのだろう。
1968年製のモーリス マイナーバンを紹介する動画である。牧場あり、林ありといった風景の中を走るマイナーの姿を、さまざまな角度から捉えている。なかなか心憎い演出だ。左ハンドルなので場所はイギリスではなさそうだが、どちらにしてもヨーロッパの田舎の景色に似合う車である。