MG MGB

MG MGB
MG MGB 1962年

これぞ、英国のオープンカー。

ツーシーターのオープンカーである。スッキリしたボディラインが美しく、タイヤにはスポークホイール。オープンカーと言えばこの形、そんなスタイルの車である。これはイギリスの自動車メーカーMGのMGBだ。1962年に登場し、1980年まで18年間も販売され続けたヒット車である。

オープンが人気のメーカーMG。

MGとは、もともとイギリスのモーリス・モーターの経営者ウィリアム・モリスが設立した企業で、自転車やオートバイの製造販売を手掛け、後に自動車を扱い始めたモーリス・ガレージがルーツとされている。

つまり、モーリス・ガレージ(Morris Garages)の頭文字を繋げてMGなのである。MGは、1920年代にはスポーツカーを製造販売するメーカーとなり、1930年代には二人乗りのオープンカーを次々に市場に投入し人気を得ていた。

MGのイラストの広告
MGの1920年代の広告
すれ違う車をお互いが気にしているが、どちらもMGの車だ!というオチである。独特なタッチのイラストが新しささえ感じさせる。左の車は1924年のMG 14/28で、右の車は1927年のMG 14/40と思われる。
Andrew Bone from Weymouth, England, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】

そんなMGも、イギリスの第二次世界大戦参戦のため車の製造を中止するが、戦争が終わるとすぐにまたオープンカーを登場させる。1945年というまさに終戦の年に、待っていましたとばかりに開戦直前まで販売していた車MG TAやTBの改良型であるMG TCミゼットを出したのである。

開戦前まで作っていた車の改良版であるから、スタイルはやはり1930年代のものである。その後もMG TD、MG TFと改良を加えバージョンアップしてゆくが、時代遅れ感はどうしようもなかった。

MG TA
戦前のMG TA
1936年に登場したMG TA。写真は、1938年のパリ・サン・ラファエル・フェミニンラリーで勝利した時のものである。なお、このラリーは女性ドライバーによって競われるラリーとして有名だ。
L’Automobile sur la Côte d’azur, Public domain, via Wikimedia Commons】
MG TC
MG TC
美しくレストアした1947年のMG TCである。前のMG TAの写真と比べると、そのスタイルはほとんど同じなのがわかる。
SG2012, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】

戦後型の車MGB。

そこでMGは、それまでとは異なるスタイルの車MGAを1955年に発表する。このMGAもツーシーターのオープンカーで、1500CC直列4気筒エンジンを空力設計が施されたボディに載せた車であった。曲線を基調としたボディデザインは、今見てもかなり洗練されており、MGBより好感を持つ人も多いのではないだろうか。

MGBは、そのMGAに続く車であり、1962年に登場した。MGBは当時の車の一般的な構造となりつつあったモノコック構造、つまりボディとフレームの一体成型を採用し、各部に改良を施した近代的な車であった。しかも、小型で軽い車体に1800cc直列4気筒エンジンを搭載。パワフルで運転しやすく、信頼性の高いオープンカーとして人気を得、大ヒットするのである。

MGAは、やわらかな曲線が美しい車だが、やはり戦前からのスタイルを受け継いでいた。それに比べるとMGBはスッキリしたデザインの戦後型と言える。戦前の車と比べると車高が低く、車幅は広く、安定感がある。路面を滑るように走り、ハンドリングにもしっかり応える。そんな運転することの楽しさを味わえるオープンカーに仕上がっていたのである。

MGA
MGA
1955年に登場したMGA。MGの戦後型オープンカーの第1弾である。曲線が主体のスタイリングは、今見ても好感が持てる。
Michael Barera, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
MGBのスタイル
MGBのスタイル
MGAと比べると、より幅が広く、安定感があるスタイルとなっている。このモデルは1967年式である。

MGBは、今でこそ当たり前のオープンカーのスタイルではあるが、当時の車好きには、このスタイルが堪らなかったのである。その点でMGBはオープンカーの歴史を作ったとも言えるかもしれない。

アメリカなどへの輸出仕様がメインだった。

さて、上に掲載したMGBの運転席をよく見ると左ハンドルである。イギリスは日本と同じ左側通行なので、車は右ハンドルのはずなのだが・・・。実はこのMGBは、右側通行の国へ輸出した車なのである。輸出先は主にアメリカであった。

第二次世界大戦では、イギリスは連合国側としてアメリカとともに戦い勝利する。戦後もアメリカ軍はイギリスに駐留していたのだが、そんな駐留軍の兵士が、小型で運転しやすく性能に優れたイギリスの車に目をつけた。「アメリカのデカいだけの車と違ってコイツはクールだぜ!」と言ったかどうかは知らないが、MGをはじめとするイギリス車が気に入ってしまったのだ。

戦争で疲弊した戦後すぐのイギリスの人々には車、それもオープンカーやスポーツカーのような車を買う余裕はなかった。暮らしを立てるだけで精一杯だったのである。しかし、アメリカは違っていた。街は戦災を受けなかったし、経済的に豊かで、精神的余裕もあった。そこにアメリカ人のイギリス車ブームがおこったのであるから、イギリスの自動車メーカーとしては、活路をアメリカに見出すしかなかったのである。

MGBの動画
1973年式のMGBの走りを見ることができる。この動画の作者はオランダの人だが、ヨーロッパの美しい景色の中を走るMGBは本当に美しい。なお、車は左ハンドルである。

MGでは、戦後すぐのモデルとして投入した車には、最初から左ハンドル仕様の製造を見越した設計を行い、輸出に力を入れた。MGBの前のMGAは、戦後10年目にあたる1955年に登場したが、やはり製造した車の約半数を北米に輸出している。

そしてMGBもアメリカへの輸出を前提とした車であった。1962年の量産第1号車も左ハンドル車であった。MGBは生産終了まで52万台も製造されたが、そのうちの3分の2が北米へと輸出されている。

MGBを半分に切った展示
MGBのカットモデル
イギリスのヘリテイジ・モーター・センターという自動車博物館の展示である。使っている車両は左ハンドルだ。当時のMGBが宣伝のために作ったのか、博物館が独自に作ったのかは不明だが、やはり左ハンドル車が多かったのだろう。
Morio, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

スタンダードなオープンカー、MGB。

なぜアメリカの人々にこの車は人気があったのだろうか。MGのオープンカー、特にMGBには、他のヨーロッパ車に見られるようなアクの強さがない。極めてスタンダードなスタイルであるところが良かったのではないだろうか。

こうしたMGBのスタンダードさは、この車のファンの多さに繋がっている。現在でも旧車のオープンカーと言えばまず挙げられるのがMGBだそうだ。日本にもファンクラブがある。

小型で扱いやすく、スタンダードなスタイルのMGB、この車はまさに、英国のオープンカーを運転している楽しさを十分に味わうことができる車なのである。

街角に停車したMGB
街並みとMGB
スイスの都市ザンクト・ガレンで撮影された1枚である。ヨーロッパの街並みにしっくりと溶け込むスタイルは、さすが英国のオープンカーと言わざるを得ない。
JoachimKohlerBremen, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】