いすゞ 117クーペ

isuzu 117 coupe
いすゞ117クーペ
いすゞ 117クーペ 昭和43年(1968年)

ユーザーに愛されたラグジュアリークーペ。

流れるボディライン。どの角度から眺めても惚れ惚れするスタイル。1970年代の日本車の中ではピカイチのデザインを誇る車である。いすゞ自動車が製造、販売した117クーペだ。登場したのは、昭和43年(1968年)である。

ダットサンサニーやトヨタカローラが発売され日本のモータリゼーション元年と言われたのが、昭和41年(1966年)。それからわずか2年後にこのスタイルである。117クーペに出会った当時の車ファンは、まさに度肝を抜かれただろう。

いすゞ117クーペのスタイル
いすゞ 117クーペのスタイル
柔らかな曲線で構成されたスタイルがなんとも美しい。クーペであるが、後席のスペースが十分にあり、それがまた後部のフォルムの美しさを際立たせている。まさにデザインの勝利である。

117といえば、ジウジアーロ。

このスタイルの良さは、やはりまだ日本国内のメーカーでは難しく、117クーペのデザインは、イタリアのカロッツェリアであるギア社に依頼された。なお、カロッツェリアとは、自動車の車体デザインを行う会社のことである。

そして、担当デザイナーは、ジョルジェット・ジウジアーロだった。117クーペは、いわゆるジウジアーロデザインの車なのである。実際この車のプロトタイプは、発売の2年前の1966年にジュネーブで行われたモーターショーに出され、自動車のデザインを競うコンクールで受賞している。

1969年のジウジアーロの写真
ジョルジェット・ジウジアーロ
1969年10月に撮られたジウジアーロ。自らの会社である「イタルデザイン」を設立した頃の写真である。この頃日本では、117クーペが登場し話題となっていた。
[1], Public domain, via Wikimedia Commons】

現在、いすゞ自動車は乗用車を製造、販売していない。トラックやバスなどの大型車専門のメーカーである。そんないすゞ自動車が、昭和40年代に見事なスタイルの乗用車117クーペを製造、販売したのである。なぜこのような車を登場させたのだろうか。

これがいすゞの乗用車。そんな車を目指した。

もともと、いすゞ自動車は大正時代に設立され、大型車を製造するメーカーとして発展してきた。トヨタや三菱、日産と同様、日本の自動車製造の歴史を築いてきたメーカーでもある。

第二次世界大戦後、いすゞは日本を代表する大型車メーカーとなるが、昭和28年(1953年)から、イギリス車ヒルマン ミンクスのノックダウン生産を始め、乗用車の生産をスタートさせる。昭和30年代後半からは、乗用車の独自開発も行うようになり、モータースポーツで活躍した小型車ベレットなど、ヒット車も生み出すようになるのである。

そうした状況の中で、いすゞは、いすゞの乗用車を代表するような高品質の車を目指し、開発に着手する。

昭和16年のいすゞの広告
いすゞ自動車の広告
昭和16年(1941年)にアサヒグラフに掲載された広告。当時は“いすゞ”は社名ではなく、車の名前であった。「国の備へに此のいすゞ」というキャッチフレーズが時代を感じさせる。
asahi gurafu, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
いすゞ ベレットの写真
いすゞ ベレット
2ドアクーペのベレット1600GTである。国産車としてはじめてGTの名を冠した車でもある。ベレGとも呼ばれ、スポーティな車として人気を集めた。登場したのは昭和39年(1964年)である。
Mytho88, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

当時の日本の国産車は、どちらかと言えばエンジン排気量優先、馬力優先の考え方で、ユーザーの方もどの車がよく走るとかスピードが出せるといった点に興味が集中しがちであった。そこで、国内の自動車メーカーの方もそんなユーザーニーズに合わせて開発、販売合戦を繰り返していたのである。

しかしいすゞは、車の性能に加え、そのスタイルの美しさに開発の重点を置いた。単に排気量や馬力ではなく、デザインで勝負したのである。そこで、本場イタリアのカロッツェリアにデザインを依頼し、流れるラインの117クーペを誕生させたのだ。

しかも、この車、ただ単に美しいというだけではなかった。普通、2ドアクーペは後ろが狭く、後席での長時間の乗車が厳しかったものだが、117クーペは、後部に膨らみのあるデザインで車内空間に余裕を持たせている。そのため、後席でも快適に過ごすことができたのである。

高品質なクーペをラグジュアリークーペというが、そんなクーペを日本車としてはじめて実現したのが117クーペであると言えるだろう。しかも、製造の初期にはこのデザインを実現するため職人が手作業でボディを仕上げていたそうである。やはりこの車、イタリアのカーデザイナーと職人の手による“質の高い作品“なのである。

117クーペの紹介動画
いすゞ自動車がスペシャルムービーと銘打ちYouTubeに掲載している動画である。音声は入っていないが、117クーペの素晴らしさをが謳い上げている。

やっぱり、車はデザインだ!

実は、国外のカーデザイナーがデザインした日本車は117クーペが最初ではない。例えば、プリンス自動車のスカイライン スポーツという車がある。日産自動車がプリンス自動車を吸収合併する前のスカイラインで、吊り目型のヘッドライトが個性的な車であった。

このスカイライン スポーツ、イタリアのデザイナーであるジョヴァンニ・ミケロッティがデザインしている。登場は、昭和37年(1962年)なので、117クーペの6年も前の車である。また、昭和41年(1966年)のマツダ ルーチェの初代も海外デザイナーだ。なんと117クーペと同じジョルジェット・ジウジアーロである。

スカイライン スポーツも、マツダ ルーチェも、当時の日本車には見られないスタイルのよさが特徴的なのだが、やはり、その頃はカーデザインそのものの概念が日本人に浸透していなかったのだろう。あまり大きな話題にはならなかったようだ。

しかし、いすゞ117クーペは違っていた。ジウジアーロがデザインしたという事実が大きなインパクトを持って迎えられたのである。いや、さらに言うなら、117クーペによって、自動車にもデザイナーというプロが関わっているのだということに日本人は気づかせられたのである。

いすゞ117クーペの写真
いすゞ 117クーペ
職人が手作業で作った初期型の117クーペである。イエローのボディカラーとも相まって、まさに惚れ惚れするような美しさである。2023年に日本の岐阜県で開催されたクラシックカーイベントで撮影されたもの。
先従隗始, CC0, via Wikimedia Commons】

ユーザーに愛された117クーペ。

日本の一般の庶民にとって、それまでは自動車を持つということ自体が、とてつもない出来事であった。しかし、モータリゼーションが進展してくると、自動車を持つことが自分にもできること、普通のことになってくる。

そうなると、もちろん馬力があってスピードを出せるものがよいが、美しく、いつまでも愛着の持てるものも欲しくなる。そこに、海外デザイナーによる117クーペが登場し、「そうだ、これだ!」と日本人も気づいたのである。

GAZOO.comの117クーペ紹介動画
クルマ情報サイトGAZOO.comがYouTubeに掲載している紹介動画。前編と後編がある。モータージャーナリストの熊倉重春氏が117クーペを熱く語っており、この車のディティールを知ることができる。

いすゞ117クーペは、発売開始から10年の時点で登録された車の98%が現役だったという調査がある。購入した人の多くが、117クーペを愛し、大切に乗っていたのだ。

走らせる満足感ももちろんあったろうが、やはりユーザーは、この車のスタイルに惚れ込んだのである。流れるラインを愛でて「いい仕事してますねー」と言ったかどうかはわからないが・・・。

どちらにしても、ジウジアーロデザインを採用し、開発したいすゞ自動車の狙いは、しっかりと実を結んだと言えるだろう。まさに、117クーペはその点でエポックメーキングな車だったわけである。