ホンダ Z

ホンダ Z
ホンダ Z 昭和45年(1970年)

NからZへ。スペシャルな、軽。

長いフロントノーズ、流れるようなボディライン、後ろは斜めにカットしたバックウィンドウが印象的。クーペスタイルを実現した360cc軽自動車、初代ホンダ Zである。ホンダの360cc軽自動車と言えばホンダN360だが、その最終型であるNⅢ360をベースにした車でもある。

発売されたのは昭和45年(1970年)の10月。N360と同じ空冷式360ccエンジンを搭載していた。1年後には水冷式のエンジンに改められ、ホイールベースも少し長くされた。その他の改修も施されたが基本的なデザインは変わっていない。

ホンダZのスタイル
ホンダ Zのスタイル
全体的に流れるようなラインで構成されている。三角窓もなくスマートで、60年代の車とは一線を画すスタイルだ。やはり、縁取りのついたバックウィンドウが個性的。
ホンダN360
ホンダ N360
ホンダ Zの前身でベースとなった車。コンパクトで高性能なヒット車だった。後部のドアは窓の下にある。
ホンダZの写真
ホンダ Z実車
オリーブ色のZである。きれいに手入れされている。旧車イベントでの1枚のようである。
Ypy31, Public domain, via Wikimedia Commons】

軽自動車初のスペシャルティカー。

この車のベースとなったN360のNとは、「のりもの」を表すNと言われているが、Zは何を表しているのだろうか。Zは、アルファベットの最後の文字である。「究極の」といった意味を持たせたかったのかもしれない。

発売時には、この車はスペシャルティカーと銘打たれていた。スペシャルティカーとは、居住性が高く、快適な車という意味があるが、日本ではじめてこの言葉を使ったのはトヨタセリカである。セリカもホンダ Zと同じ頃の発売であり、この頃はスペシャルティという言葉自体が流行していたのである。

そしてホンダからすれば、軽自動車でスポーティなクーペスタイルを実現したのだから、まさにスペシャルであり、究極でもあったのだろう。

ホンダ Zのカタログ①
初代のカタログである。大判サイズで、写真集のような作り。ホンダ Zが、米軍の戦闘機やフットボールチーム、ドラッグレースカーなどとともに写っている。アメリカに車を持ち込んで撮影したのだろう。特別な車なんだというホンダの意気込みが伝わってくる。
ホンダ Zのカタログ②
こちらは1972年発売のハードトップのカタログ。ヨーロッパで撮影されたと思われる場面が多く掲載されている。運転席周りの装備やバックウィンドウの使い方、テクノロジーなど、車のメリットが丁寧に語られている。

人呼んで「水中メガネ」。

特にこの車で注目したいのはバックウィンドウの処理である。車の屋根が後部まで伸びて、斜めにカットされており、そこに大きな窓がある。

窓のまわりは黒くて太い樹脂製の枠がはめられていて、このバックウィンドウこそが、ホンダZを印象づけるデザインポイントでもあった。人々からは「水中メガネ」と呼ばれて親しまれた。確かに夏休みに海やプールでよく使ったあのメガネによく似ている。

そして、この窓全体は跳ね上げ式のバックドアともなっており、こうした形式をガラスハッチと言う。車の後ろのトランクに物を出し入れするのではなく、車の後ろから直接車内に物を出し入れできるというのは、車を日常の道具として見ると便利な機能である。

バックからのZの写真
Zのバックスタイル
ウィンドウの周りに黒い樹脂のラインがあり、水中メガネと呼ばれたのがよくわかる写真だ。
Ypy31, CC0, via Wikimedia Commons】

N360の頃は、車の後ろのドアは窓の下に付けられていた。N360の時代は、まだ後ろの窓が開くという形式は商用車のライトバンを思わせるので乗用車には採用されなかったようだ。

しかし、ホンダZではガラスハッチが採用された。しかも、いやが上にも目立つ水中メガネのデザインにしたのである。それは、この車は商用車じゃないぞという主張でもあり、ホンダZのチャームポイントにもなっている。

流行のハッチバックを取り入れた。

ガラスハッチは、窓を上に跳ね上げて、中の荷物の出し入れができるということで、自動車の分類で言えばハッチバックスタイルでもある。

ハッチバックは、1974年に登場した初代フォルクスワーゲン ゴルフから流行したと言われており、日本車でも70年代中頃にトヨタセリカやホンダシビックなどに取り入れられ、ヒットしている。

セリカリフトバックの写真
トヨタセリカ リフトバック
昭和48年(1973年)から発売が開始されたセリカのモデル。クーペの後部がバックドアとなっている。一般的にはハッチバックだが、トヨタはこれをリフトバックと名付けた。
No machine-readable author provided. ChiemseeMan assumed (based on copyright claims)., Public domain, via Wikimedia Commons】
ワーゲンゴルフの写真
フォルクスワーゲンゴルフ
1974年に登場したフォルクスワーゲンのコンパクトカー。高性能な乗用車にハッチバックを取り入れ、ハッチバックスタイルを流行させたと言われている。
Vauxford, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】

ホンダは、70年代中盤から広く受け入れられるハッチバックスタイルを昭和45年(1970年)発売のこの車ですでに始めていたことになる。

N360がヒットして3年。N360は高出力エンジンを搭載し、発売数ヶ月でヒット車であったスバル360を抜き販売トップに躍り出た車である。しかし、単に馬力がある、よく走るだけでは飽きられてしまうということをホンダは承知していたのだろう。軽自動車には新たな魅力が必要だったのだ。

また、当時社会問題ともなっていた欠陥車問題でもN360がやり玉にあげられていたという事情もあった。軽自動車の信頼性を回復させるという面でもホンダは軽自動車の新たな魅力をこの車で訴えようとしていたのである。

当時のホンダZのCMを見てもそれがよくわかる。「ワンダフル・ワールド・カー」というキャッチフレーズで世界基準の車であることを強調するかと思えば、海岸で油絵を描く男性を登場させ、こころ豊かな暮らしの場面で役立つ車という訴え方をするなど、イメージ戦略でCM展開を行っている。

ホンダ ZのCM
海岸で油絵を描く男性を登場させるCMの他に、「ワンダフル・デイ、ワンダフル・タイム・・・」と、趣味のある暮らしのために最適な車であることを訴えるCMなど3本が入っている。

軽自動車の新しい使い方を提案。

確かに1970年代に入ると、軽自動車を持つことの意義が変化してきていたと言えるかもしれない。サニーやカローラといった大衆車がヒットし、程度のよい普通車も手頃な価格で手に入れられ、予算の関係で軽自動車しか選べないという時代ではなくなってきていたのだ。

この頃からサブの自動車として軽自動車をというスタイルが出てきていたのではないだろうか。つまり、家族みんなで移動するというメインの車の他に自分だけの車、自分の生活を充実させる車を持つということである。

そうした使い方をホンダはアピールしたかったのだろう。ゆえにCMでは週末に海岸へ大きなイーゼルを持って出かけてゆき油絵を楽しむ人物を描いたのだ。

ホンダ Z走行動画①
旧車イベントでのホンダ Zとその走行の様子が入っている。今も熱心なファンが多い車であることがわかる。
ホンダ Z走行動画②
1972年式のホンダ Zハードトップの紹介と走行動画。本田技研が自社に収蔵している車を使って撮影した動画である。

しかし、こんなホンダによるアピールも、結局は不発に終わったようである。ホンダZは、続いて登場したホンダライフとともに昭和48年(1973年)に生産を終了。ホンダは軽自動車市場から一時撤退することになる。

なお、ホンダZの二代目が登場するのは25年後の平成10年(1998年)である。