ゴリアテ GD750

ゴリアテ GD750
ゴリアテ GD750 1949年

力強く、ハイクオリティな三輪車。

二人乗りキャビンが付いた小型のボンネットトラック。ボンネットの形が三角形でスマートな印象だ。このトラック、前が一輪、後ろが二輪の三輪自動車である。

これは、ドイツの自動車メーカーゴリアテのGD750だ。三輪と言えば戦後日本の復興の立役者でもあったオート三輪を思い出すが、こちらはドイツ。1949年から1955年にかけて製造された。ちょうど日本でオート三輪が活躍していた頃である。ドイツでも日本でも、やはり戦後の復興期には三輪トラックが大きな役割を果たしていたようだ。

ゴリアテ GD750のスタイル
ゴリアテGD750のスタイル
二人乗りのキャビンに大きめの荷台が付いている。ボンネットが長く出ているところがこの車の特徴だ。日本のオート三輪には見られないスタイルでもある。なお、荷台の大きさには数種類あって、選べたようである。

ゴリアテとはどんなメーカー?

自動車メーカーゴリアテの創立は、1928年。当時のドイツの大手自動車メーカーであったボルクヴァルトグループ傘下のメーカーとして出発した。最初はオートバイと貨物車を合体させた三輪トラックを製造していたが、1931年には、なんと三輪の乗用車ゴリアテパイオニアを開発した。これは、ボルクヴァルトグループ初の乗用車でもあった。

このゴリアテパイオニアをベースに生まれたのがゴリアテ三輪トラックだ。そしてゴリアテGD750は、第二次世界大戦後に最初に製造、販売した三輪トラックであった。

ゴリアテ三輪トラック 後ろが一輪、前が二輪
戦前のゴリアテ三輪トラック
1930年代の三輪トラック、ゴリアテスタンダードである。前が二輪後ろが一輪の貨物で、運転者は荷台の後ろに乗る。まさしく運搬用車両という車だ。
Buch-t, CC BY-SA 3.0 DE, via Wikimedia Commons】
ゴリアテパイオニア
ゴリアテパイオニア
1931年に開発された三輪の乗用車。コンパクトでスマートな二人乗りである。当時は三輪自動車は免許がなくても運転でき、自動車税もかからなかったのでヒットした。
Lothar Spurzem, CC BY-SA 2.0 DE, via Wikimedia Commons】

“ゴリアテ”という名前がまた面白い。この名前は聖書に登場する。イスラエルのダビデが倒す敵の勇者の名前がゴリアテなのである。このゴリアテ、背丈は2.7メートルで手の指が6本もあるという巨人だ。どちらかと言えばゴリアテはカタキ役ではあるが、このメーカーはその名を自社のブランド名とし、製造する三輪トラックもゴリアテと呼んだのだ。

荷物を運ぶトラックにはやはり力強さのイメージを付けたかったのだろう。大型ではなく、小型の三輪トラックではあったが、巨人のように力強いということで“ゴリアテ”なのである。

ゴリアテとダビデを描いた絵
ダビデとゴリアテ
ドイツの画家オスマール・シンドラーが1888年に描いた作品である。手前の少年がダビデで、それを見て笑っている巨人がゴリアテだ。ゴリアテはこの後ダビデの投げる石によって討たれることになる。
Osmar Schindler (1869-1927), Public domain, via Wikimedia Commons】

クオリティの高い三輪トラックを。

ゴリアテの力強さはイメージだけではなかった。ゴリアテと競合する車に、同じドイツの自動車メーカーであるテンポが製造する三輪トラックがある。大きさもスタイルも似通っているのだが、大きな違いがあった。それは、テンポが前輪駆動であるのに対し、ゴリアテは後輪駆動だったことだ。

三輪車の前の一輪だけを回すのと、後ろの二輪を回すのではやはり力強さが違う。当時の広告でもゴリアテGD750は後輪駆動であることが強調されていた。いわく「信頼性の高い後輪駆動で、雪の路面も大丈夫。どんな坂道でも乗り越えます。」「後輪駆動だから四輪車の走行特性を備えています。」と、そのメリットを謳い上げたのである。

ゴリアテ  GD750の実車
ゴリアテGD750
旧車イベントで見られた1953年製の車である。美しくレストアされている。
Photo: Eckhard Henkel / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0 DE, CC BY-SA 3.0 DE, via Wikimedia Commons】
テンポ ハンシート
テンポ ハンシート
ゴリアテGD750と同じ時期に売られていたドイツのテンポ社の三輪で、名前はハンシート。ゴリアテとほぼ同じスタイルだが、こちらは前輪駆動だった。
Lokilech, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

さらにゴリアテは、この三輪トラックのクオリティの高さを訴えるために記録用の特別車両を製造。エンジンのパワーや車体の耐久性を証明して見せた。1951年の8月、フランスのパリ近郊モンレリにあるサーキットで平均時速155kmで2時間以上走り続け、38の世界記録を打ち立てたのである。

三輪トラックでここまでやるかという感じだが、さすがにヨーロッパの自動車メーカーである。レース好き、記録好きなのである。日本のオート三輪のメーカーとはやることが一味違う。

多くの商店や企業で活用した。

さらにゴリアテGD750は、バリエーションが豊富なことでも特徴的だった。荷台の付いたピックアップタイプをはじめ、パネルバンや木製の貨物室のついたタイプなどがあった。ボディタイプのバリエーションは実に26種もあり、ユーザーの需要に応じた提供ができたようである。

しかも三輪であるため価格が安く、特にバンタイプは家具や生活用品などを製造する小規模なメーカーに人気があったそうだ。小型で小回りの効く三輪車は、配送用などに便利だったのだろう。また、移動販売店として利用されていた例もあるようだ。

このページの最初に掲げたゴリアテGD750は、荷台に「Sinalco」というロゴマークが入っている。これはソフトドリンクのロゴで、ヨーロッパではコカ・コーラと肩を並べるほど有名な飲み物だそうだ。そのSinalcoのルート配送車として活躍したのだろう。これを見ても、街を走るゴリアテGD750は、人々にとってかなり身近で親しみのある車だったことが想像できる。

Sinalcoの飲料が描かれた看板
sinalcoの広告
コーラとドリンクの写真の入った看板である。温度計も付いているので宣伝用の景品かもしれない。
Alf van Beem, CC0, via Wikimedia Commons】
ゴリアテのパネルバン
ゴリアテのパネルバン
荷台部分が覆われたパネルバンである。側面にスパークプラグの絵とともにBOSCHとあるので、自動車部品販売店か自動車修理工場のトラックなのだろう。
RudolfSimon, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

ドイツの三輪トラックと日本のオート三輪。

日本のオート三輪も、身近な車としてさまざまな業種で活用されていたが、次第に大型化し、大手の配送業者でも使われるようになっていった。荷台の長さ4mで排気量2000ccという中型トラック並みの三輪も登場している。だが、ドイツではそういうことにはならなかったようだ。

日本のオート三輪は、四輪トラックが高価だったため、その代わりに活躍した車とも言える。もちろんドイツのゴリアテGD750も、三輪ゆえの価格の安さが大きなメリットにはなっていただろう。だが、日本のように配送専門業者のトラックとして使われるのではなく、もっぱら三輪の小回りの良さとか手軽さが活かせる商売で重宝されたようだ。つまり、役割がはっきりしていたのである。

50年代の街を走るゴリアテGD750の白黒写真
街角のゴリアテGD750
50年代にオランダで撮影された写真。荷台の上に屋根のついたゴリアテである。街の雰囲気にしっくりと溶け込んでいる。商店の荷物を運んでいるのだろうか。もしかしたら移動販売車かもしれない。
Wouter Duijndam from Area 070, The Netherlands, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons】

さて、このように活躍したゴリアテだが、モータリゼーションが進展してゆくと、次第に敬遠されてゆく。走行が不安定な三輪トラックだったためである。GD750の後にゴリアテゴリという名の三輪トラックも出されるが1960年代の初めには製造を終え、街から姿を消してゆく。

このあたりの終わり方は日本のオート三輪と同じである。やはり三輪車なのである。ゴリアテのように強いとはいっても時代の流れには勝てなかったのだ。

ゴリアテの走行動画
GD750の後継車であるゴリアテゴリの走行動画である。荷物を積み込み、街の狭い道や森の中の道を走り抜け、目的地にまで荷物を届けるという一連の流れを丁寧に撮影している。走る様子や車内の状況などがよくわかる。