マイクロカーからスポーツカーへ!
これは、どこかの遊園地の乗り物ではない。レッキとした自動車である。ドイツのFMRというメーカーのTG500という車だ。TG500のTGとはタイガーの略らしいが、タイガーという名には似合わず不思議なスタイルをしている。細長いボディに透明なキャノピーを被せた二人乗りマイクロカーである。
あのメッサーシュミットが作った車。
FMRとは、メッサーシュミット社の自動車製造部門が独立したメーカーだ。メッサーシュミットと言えば第二次世界大戦で活躍した数々の名機を生んだ航空機メーカーである。メッサーシュミットBF109は、戦時中、イギリスのスピットファイアと空中戦を繰り返したことは有名だ。しかし戦争が終わると、敗戦国ドイツのメッサーシュミット社は、航空機の製造を禁じられてしまう。
そこで、メッサーシュミットは、マイクロカーの製造に乗り出すことになる。まず作ったのが、KR175という3輪マイクロカーである。1953年に生まれたこの車がTG500の元となった。KR175には単気筒2ストロークエンジンが搭載され、ハンドルもバーハンドルであった。キャビンスクーターとも呼ばれており、最初はバイクにキャノピー(風防)を被せたという認識の乗り物であったことがわかる。
全体的なスタイルは、飛行機の操縦席部分を切り取って車を付けたようなイメージだ。メッサーシュミット社は、航空機製造会社としての意地というか誇りを捨てきれなかったのだろうか。俺たちが売る車ならこの形、と強く主張しているようだ。
ブームに乗ってヒットしたマイクロカー。
KR175は1955年にKR200へと進化した。タイヤサイズが大きくなり、サスペンションもリニューアルされ、全体的な空力デザインや軽量化により、200ccエンジンで時速90キロを出したという。また、250cc未満の3輪自動車の24時間走行世界記録も打ち立てた。耐久性にも優れているのを証明したのである。これらもまた航空機の設計、製造を行ってきたメッサーシュミットの面目躍如というところだろう。
第二次大戦後、自動車の需要が高まった際に、低燃費で税金も安いマイクロカーがブームとなった。1950年代にはスエズ危機による石油不足で燃料価格が上がったことにより、ヨーロッパではさらにブームが加速する。こうした状況の中で、メッサーシュミットの3輪自動車もヒットした。
ところが、1956年に航空機の製造が許可されるとメッサーシュミットはあっさりと車の製造部門を切り離してしまう。マイクロカーの将来にそれほど期待を持ってはいなかったのだろう。また、根っからの飛行機屋であり、車の販売は自分たちの仕事ではないという思いもあったのかもしれない。この時、メッサーシュミット社から独立したのがFMRであり、KR200の生産を続けた。
そして、4輪のスポーツカーが登場した。
FMRがKR200に続くマイクロカーとして1958年に登場させたのがTG500である。二人乗りの座席に航空機のようなキャノピーを付けたスタイルはそのままだったが、4つの車輪が付いていた。安定性をより高めたのである。また、エンジンは500ccの空冷エンジンで後輪の上に搭載され、重量は390kg。軽量で安定性の高いボディに500ccのエンジンであるから結構パワフルである。
3輪時代のKR175やKR200は、バイクにボディを付けたというイメージであった。あくまでもマイクロカーだったのである。ところが、TG500は、サイズこそマイクロだったが、スポーツカーであった。時速は126キロ、静止状態から28秒で時速97キロという記録を持っており、当時の小型のスポーツカー並みの性能だった。
もともとKR175は、低価格で移動手段としての自動車が手に入るというニーズに応えていた車である。つまりあくまでもマイクロカーであり、簡易型の車であったのだ。ところがTG500になると、個人用の小型スポーツカーというニーズにも応えるようになっていた。普通の移動用の自動車の他に趣味の車として小さなスポーツカーを持とうという車大好き人間には大いにウケたであろう。
バブルカーとも呼ばれたTG500。
こうしたマイクロカーのことを欧米ではバブルカーとも言う。バブルカーと聞くと、バブル経済を体験した人間は、何か目の玉の飛び出るほどの値段の高級車、贅沢な車といったイメージを持つが、実はこの名は見た目から来ている。マイクロカーは車体が小さいため透明な窓ガラス部分が大きくなる、そんな姿がバブル、つまり泡のように見えるというわけである。
このTG500は、透明のキャノピーがまさに泡のように見え、バブルカーの代表格でもある。その他にも戦後の一時期BMWが製造、販売したイセッタや昭和30年代に発売されていた富士自動車のフジキャビンもバブルカーと言われている。
いずれにしてもバブルカーとはマイクロカーの一種という認識であった。その名称には正式の自動車ではなくそのうち泡と消えてしまうだろうという揶揄も含まれていたのだろう。しかし、TG500は、4輪でありパワーもアップしたことで人気を得、1958年に発売してから1961年まで製造が続けられた。約320台が製造され、そのうち約150台が現存しているそうだ。やはりこうした趣味的な車は強いのである。
今この車を手に入れようとすると、なんと1000万円だそうだ。希少価値、骨董的な価値があるとは言え、まさに高級車の値段だ。泡に似た姿でバブルカーと言われたTG500。今では泡以外の意味でのバブルカーとなっているのである。