フォード エスコート

フォード エスコート
フォード エスコート 1967年

ラリーに強い、ファミリーカー。

流れるようなボディラインが美しい。フォード エスコートだ。1967年から1974年にかけてヨーロッパフォードから出された小型車で、上の車は今も人気が高い初代エスコートMk1である。小型車ながら、60年代から70年代にかけて流行したコークボトルラインを取り入れたスタイリングになっている。

エスコートのスタイル
フォード エスコートのスタイル
60年代に出された小型車だが、全体的にスマートにまとまっている。特にバックから見たラインは当時流行のコークボトルラインだ。愛嬌たっぷりのフロントデザインも楽しい。

コークボトルとドッグボーン。

コークボトルラインとは、読んで字の如し、コークつまりコカ・コーラのボトルのようなやわらかな曲線をイメージしたデザインだ。当時の高級車やスポーツカーなどでよく使われていた。エスコートが登場した頃には一般向けの小型車にも取り入れられるようになってきていた。

そんなスマートなラインを持ちながら、フロントデザインはとっても愛嬌があるのがこの車の個性でもある。ラジエターグリルと2つのヘッドライトを一体にしたこのデザインは“ドッグボーン”とあだ名されている。

ドッグボーンつまり犬の骨という意味だが、これは犬の骨格のことではなく、犬がくわえる餌としての骨のことである。確かにこのフロントデザインは、漫画やアニメなどで犬がよくくわえているあの骨の形だ。

エスコートの正面と骨をくわえる犬
ドッグボーンとは
グリルとヘッドライトが一体になったデザインを、犬がくわえる骨に見立てた。
※犬のイラストはいらすとやのフリー素材を使用。
エスコートの実車
エスコートの実車
2010年のイベントで見られた初代エスコートMk1。1972年製の車である。フロントまわりのドッグボーンの形がよくわかる。
Charles01, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

ヨーロッパフォードの最初の車。

さて、最初に述べたが、エスコートはヨーロッパフォードが出した車である。では、ヨーロッパフォードとは何か?

フォードはもともとアメリカのメーカーだが、1909年にイギリスで、続いて1925年にはドイツでフォード車を扱う法人が生まれた。このイギリスとドイツのフォードは、次第に各国の状況にあった独自の車の製造、販売を行うようになり、有力な自動車メーカーへと成長する。

1967年、そのイギリスとドイツのフォードが合併して生まれたのが、ヨーロッパフォードである。そして、ヨーロッパフォードとして初めて製造したのがこのフォード エスコートであった。したがって、初めての車ということで力が入っていたわけで、この当時の流行を取り入れつつユニークなデザインも施した車となったわけである。

ファミリーカーとして登場したのだが・・・。

フォード エスコートの前身にあたるのは、イギリスフォードのフォード アングリアである。戦前の1939年からモデルチェンジを繰り返して生産されてきた小型のファミリーカーだ。

その最終モデルであるアングリア105Eがこれまた愛嬌のあるデザインで、口のように見える大きなラジエターグリルが特徴だ。映画「ハリーポッター」の第1作で空を飛ぶ車となって登場している。いかにもイギリスというイメージの車、しかも一般向けのファミリーカーということで登場したのだろう。

エスコート、アングリア、プリフェクトの3台が並んでいる
ヨーロッパの個性派フォード揃い踏み
ニュージーランドにある「ワナカ交通とおもちゃの博物館」で見られたヨーロッパフォードとイギリスフォードの車たちである。奥のピンク色の車は1953年登場のプリフェクト100E、真ん中は1959年登場のアングリア105E、そして手前がエスコートである。どの車もひとくせある顔つきなのがいい。
Riley from Christchurch, New Zealand, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】

エスコートはこのアングリアに続く車なのであるから、一般庶民向けのファミリーカーということになる。しかし、エスコートは、国際的なラリーで活躍した車として語られることが多い。家族向けのおとなしい車というよりも、モータースポーツの覇者というイメージが強いのである。

ラリーカーとして有名なエスコート。

ラリーと言えば、サーキットでその速さや性能を競うのではなく、市販車をベースに調整された車で公道を突っ走り、タイムを競う競技だ。モンテカルロラリーやアフリカで行われるサファリラリーなどが有名である。1970年代には国際的なラリーが各地で行われていた。

実際にエスコートは、1970年のロンドンメキシコワールドカップラリーに参加し、9時間7分のタイムで優勝。しかも、10位以内にエスコートが5台も入るという快挙を見せた。

このラリーはイギリスのロンドンを出発し、ヨーロッパの都市を走り抜け、船で南米に渡って南米の各都市を巡ってメキシコシティにゴールするという2大陸を股にかけたラリーであった。ここで好成績を上げたのだから、エスコートには、ラリーに強いあのすごいヤツというイメージが付いただろう。

ラリーで優勝したエスコートの実車
ラリーで優勝したエスコート
1970年のロンドンメキシコワールドカップラリーで優勝したフォード・エスコートである。ドライバーはフィンランドのラリードライバーハンヌ・ミッコラであった。現在は、イギリスの自動車博物館ヘリティッジ・モーター・センターに展示されている。
paulb4uk, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons】

ラリーも戦前までは、車による純粋な競争であった。技量を持った人間が自慢の車で参戦してドラマを演じるという趣だったものが、戦後になると自動車メーカーがチームを組んで参加し、好成績を狙ってデッドヒートするという形になっていった。その狙いは自社の車の宣伝である。ヨーロッパフォードとしては、合併後初めて出した車がこんな好成績を収めたのだから言う事なしである。

フォード エスコートMk1ストーリー
エスコートMk1の歴史を簡潔にまとめた動画。当時のラリーの画像がふんだんに登場する。やはりエスコートとラリーは切っても切り離せないのだ。

“走り”で選ばれる時代の車だった。

60年代後半から70年代、やはり車は“走り”の良さが求められた。今ならば、乗り心地や運転のしやすさ、荷物の積載量などさまざまな要素が車を選ぶ際の比較材料になるのだが、当時はまず車としての性能だった。車を購入したい人たちは、走りの良い車、ラリーなどでいい成績を残した車を欲しがったのである。

だが、そんなラリーに強い車を持っていても、日頃の運転でその性能を発揮させる場などほとんどない。そもそも、普通のユーザーにはレーサーのような運転技能はないのである。

しかし、車さえあれば、自分も同じような運転ができるはず、と勘違いしている車オタクが多かったのだろう。また、当時は、若い男性が集まると車の性能や新しい機能でクルマ談義になるというのが普通でもあった。自動車を作って売るメーカーにとっては、いい時代だったのである。

エスコートのCM
当時のエスコートのコマーシャルである。走りに惹かれてスポーティなエスコートに乗りたい男性が、結局、奥さんの意見で家族で使えるワゴン車に決めてしまうというストーリーになっている。逆説的ではあるが、ラリーカーのような走りがエスコートの魅力であると訴えているのだ。イギリスらしいCMだ。

フォード エスコート、この車は、一見普通の乗用車だ。そして、生まれた経緯から考えるとファミリーカーでもある。しかし、ラリーの成績によって、エスコートには“走り”の車というイメージが付いた。でも、それがドッグボーン(犬の骨)のフロントデザインと相まってこの車の強い個性を形作っているのだから面白い。

エスコートとミニの後ろ姿
ある日のフォード エスコート
青いフォードエスコートの後ろ姿が写っている。右隣の黄色い車は、あのミニである。エスコートもミニも歴史的なイギリス車であり、その2台が仲良く並んでいるわけだ。
ここは幼稚園の駐車場で、これらの車のオーナーは幼稚園の女の先生とのことである。毎日使う普通のユーザーにとってはこれらの名車も単なるウチの車なのだということを忘れてはならない。そんなことを訴えている写真ではある。
Riley from Christchurch, New Zealand, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons