ダットサン 17型

戦時体制の中で、ダットサンは。

さて、ここで取り上げているダットサン17型は、10型からはじまる一連のダットサンの最後を飾る車でもある。なぜ最後なのか。それは、この車が登場した昭和13年(1938年)以降、一般向けの乗用車の生産ができなくなったからである。

当時の日本は、昭和12年(1937年)から日中戦争に突入しており、戦時体制に入ろうとしていた。昭和13年(1938年)以降は、自動車メーカーには軍用車の製造を行うことが求められたのである。もっとも、当時はオープンカーでレジャーを楽しもうなんて人間は非国民と言われてしまう時代でもあったのだが。

確かにこの後、日本政府は「ぜいたくは敵だ!」のスローガンのもとに国民精神総動員を推進するわけで、ダットサン17型のような車を乗り回すなどもってのほかとなるのである。ところが、世間がそんな風潮一辺倒になる少し前にこんな車が製造され、売られていたのだから面白い。

ダットサンの宣伝映像
戦前の日本のカラー映像を紹介する動画であるが、この中にダットサンの映像が入っている。昭和11年(1936年)の新車発表イベントの様子と、昭和12年(1937年)の宣伝フィルムである。どちらも気合が入っている。非常時だろうが何だろうが、製造が止められる直前まで積極的に車を売り込もうという姿勢だったことがわかる。

実際、ダットサンは、日産自動車が製造を始めて以降の生産台数が1万数千台とされている。結構、当時の世の中に出回っているのである。

世の中はぜいたくを控えていたが、ダットサンを手に入れて喜んでいた自動車ファンもいたに違いない。そんなファンは、自由に乗り回せる平和な時が来るのを願いつつ、きっと納屋や物置に車を隠したことだろう。「ぜいたくは敵」ではなく「素敵(ステキ)」なんだから・・・と。

日本に本格的な自動車社会が到来するのは、この車が登場してからほぼ30年後のことである。

ダットサン17型の写真
ダットサン17型
ダットサン17型の実車である。こちらは、幌付きだがシートが2列になったフェートンタイプだ。戦前の日本でもこうした乗用車を生産することができたのである。しかも、ダットサンは戦後の1950年代にも中古自動車として売られていたのだから、結構丈夫で使える車だったのである。
TTTNIS, CC0, via Wikimedia Commons】