ヨーロッパの風を感じるアメリカ車。
リンカーン コンチネンタルは、1939年に登場したアメリカの車。フォードの一部門ザ・リンカーン・モーター・カンパニーにより販売された。1939年から2020年までほぼ80年に渡り作られ続けてきた高級車でもある。
リンカーンと言えばキャデラックと並び有名なアメリカ車ブランドだが、リンカーンという名前からして、あのアメリカ大統領エイブラハム・リンカーンから取られており、その点でもアメリカを代表する車と言えるだろう。
世界一の高級車をという熱い思いから。
リンカーンという自動車メーカーは、1910年代に創業し、高級車を製造販売していた。しかし、経営不振により1922年にフォードの傘下となる。
フォードといえばフォードT型に代表される大衆車の製造、販売で大きくなった自動車メーカーである。リンカーンはそのフォードの高級車販売を担うブランドとなってゆくのである。
フォードの創業者ヘンリー・フォードは、その当時フォードの社長であった息子のエドセル・フォードにこのリンカーンを委ねた。エドセル・フォードは高級車の販売に積極的で、リンカーンを委ねられた際「父は世界一の大衆車を作ったが、自分は世界一の高級車を作りたい」と語ったとされている。
社長の個人使用車が始まりだった。
リンカーン コンチネンタルは、そのフォード・エドセルの個人使用車として作られたのが始まりである。
エドセルは1939年の春の休暇に備え、社内のデザイナーに自分の使う車のデザインを依頼した。デザイナーは当時販売されていたリンカーンゼファーをもとに新たなオープンカーをデザインした。
エドセルの個人使用車は、リンカーンゼファーよりも車高を低く抑え、車の側面についていた踏み板を無くし、より安定感のあるスタイルとなった。また、キャビンを後方に移動させ、それによってトランクスペースが狭くなったため、スペアタイヤは車の後部にカバーを付けて取り付ける形とした。
この車は、エドセルをはじめ彼の友人たちの間でも評判は上々で、エドセルは、この車は1000台は売れると本社に電報を打ち、すぐに生産が開始されることになる。
全体的なスタイルがヨーロッパ車のイメージであったため、ヨーロッパ大陸風という意味でコンチネンタルと命名された。
ヨーロッパ風が、アメ車の元祖?
ウィキペディアには、この車の生産によって、アメリカの自動車にはパーソナル・ラグジュアリー・カーという分類が生まれたとある。
パーソナル・ラグジュアリー・カーとは、性能よりも快適さや豪華さを重視した車のことで、実際には戦後のフォード サンダーバード2代目の成功が始まりとされている。1950年代以降、キャデラックエルドラドとかシボレーコルベットなど数々のパーソナル・ラグジュアリー・カーが登場した。
パーソナル・ラグジュアリー・カーとは、まさに私たち日本人が“アメ車”と呼ぶ車のことと言えるかもしれない。やたら大きく、装飾過多で、ドアが重いあのアメ車である。
こうしたアメ車の先祖とも言える車が、リンカーン コンチネンタルなのだ。名前ではコンチネンタル、つまりヨーロッパ大陸風と銘打ちながら、実際にはアメ車の元なのだから面白い。
コンチネンタルにこだわった2代目。
1939年生まれのリンカーン コンチネンタルも、アメリカの第二次世界大戦の参戦により製造が中止されるが、1946年より新たなデザインの車として登場する。しかし、1948年には製造、販売は終了してしまう。この頃にはすでに時代遅れのスタイルとなっていたのだ。
それから8年の歳月を経て、リンカーン コンチネンタルは復活する。1956年、フォードはコンチネンタル部門を作り、新型車を投入する。名前もコンチネンタル マークⅡとした。マークとは「より高級な」とか「グレードの高い」という意味を持つ。
そして、そのスタイルは、ロールスロイスやメルセデスベンツのような高級ヨーロッパ車を思わせるものとなっていた。やはり、コンチネンタルにこだわったのである。しかも、マークⅡという名前が示すように仕様はハイグレードで、ボディの仕上げに職人の手作業による加工や磨きが入るものだった。
ところが、このハイグレード仕様が仇になったのだろう。マークⅡは2年ほどで販売が終了し、全く新しいデザインの3代目が1958年に登場する。また、3代目は仕様を大きく変えて大量生産に対応させ、価格も引き下げた。
この3代目となってはじめて、リンカーン コンチネンタルはキャデラックやクライスラーなどアメリカの他の高級車と対抗できるようになる。それは、コンチネンタルがヨーロッパ風を脱し、アメリカならではのラグジュアリー・カー、つまりアメ車に路線を切り替えたことも意味する。
ヨーロッパ風が売りだったリンカーン コンチネンタルも、この3代目にしてはじめて正真正銘の“アメ車”となったのである。