日産 チェリー

日産チェリー
日産 チェリー 昭和45年(1970年)

この車で、FFの良さを知った。

この車、一見したところ普通の乗用車である。昭和45年(1970年)に登場した日産チェリーだ。

当時トヨタカローラとの間で販売合戦が繰り広げられていた日産サニーの下のクラスとして出された小型車であった。排気量1000ccクラスで、若年層や軽自動車からの乗り換え需要を狙った車でもある。

実はこのチェリー、なかなかの洒落者だ。全体的に丸みを帯びたボディラインを持つスマートな車に仕上がっている。同じ昭和45年(1970年)に登場した日産の二代目サニーと比べてもだいぶ洗練された形である。

チェリーの側面と前面
チェリーのスタイル
正面と横から見たチェリー。三角窓の無いサイドウィンドウが全体的に目の形に見える。
チェリーの斜め後ろからの見た目
斜め後ろから
この角度からのスタイルがとってもスマートである。

さらに、昭和46年(1971年)にはクーペタイプが登場する。これがまた一度見たら忘れられないスタイルであった。車の屋根がリアにまでゆるやかなカーブを描いて続き、大きなバックウィンドウを確保していた。そんな大胆なボディデザインに圧倒されたものだ。

チェリー2ドアクーペ
日産チェリー2ドアクーペ
大胆なデザインのクーペである。大きなバックウィンドウが個性的だ。だが、後方視界が悪いという評判もあった。
TTTNIS, Public domain, via Wikimedia Commons】

日産自動車初のFF車、チェリー。

日産チェリーにはこうした意欲的なデザインに加え、もう一つ大きく、しかも大切な特長があった。それはFF車であるということだ。

チェリーは、1966年に日産に吸収合併されたプリンス自動車が合併前から開発、研究を行っていたFF車でもあった。FFとはフロントエンジン・フロントドライブの略。つまり、車のボンネット内にあるエンジンで前輪を駆動させる方式のことである。

FFは、このチェリーが最初ではない。ヨーロッパでは戦前からFF車が作られていた。

特にフランスのシトロエンはFFの開発に積極的で、1934年にトラクシオン アヴァンという車を出し、ヒットさせた。トラクシオン アヴァンとはそのものズバリ前輪駆動という意味でもある。

また、日本で最初にFFを出したのはスズキ自動車であり、ホンダのヒット車N360もFFだった。

トラクシオンアヴァン
トラクシオン アヴァン
シトロエンの前輪駆動車。1934年から1957年まで製造していた。写真は1934年製で戦前のものである。
Lars-Göran Lindgren Sweden, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
N360
ホンダN360
発売するとスバル360を抜いて売上トップとなったホンダのヒット車。この車も前輪駆動だ。
韋駄天狗, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

それまでに多くのFFが世に出てはいたが、当時は車の駆動方式で一般的なものといえばやはりFR、つまり前にあるエンジンで後輪を回すというスタイルだった。日産はここで敢えてプリンス自動車時代から開発が進められていたFFを投入したのである。日産としても初めてのFF車であった。

なぜFFか。そのメリットとは?

FF車にはいくつかのメリットがある。まず、前のエンジンの力を後輪に伝えるシャフトが不要になるため、車内空間を広く取れるという点だ。

また、車の前部が重くなるためトラクションが増し、安定して走ることができるという点もある。そして、燃費にも優れているという点も見逃せない。

簡単に言えば、FF車にすれば車内がより広くなり、運転しやすく燃費も良いということで、よいことずくめなのだが、当然デメリットもある。前輪で駆動して操舵するため、運動性能がFRより少し劣るという点、スピードを出す時や坂を登る時に力を伝えにくいという点などがあげられる。

つまりFF車では、ハンドルさばきやアクセルワークを楽しむといった車を運転する時のワクワク感が減るということだ。車好きで、運転することが大好きな人にとっては多少物足りなく感じてしまうのがFF車なのである。

日産チェリーのCM
京都のお寺と車が大好きな浦さんが運転するチェリークーペ。細く、狭い坂道をグングン登ってゆく。「経済的でトクやなあ」と燃費の良さを強調し、今だからチェリーと訴えている。

当時の自動車の利用状況を考えると・・・。

ここで当時の自動車の利用状況を考えてみよう。サニーやカローラなどの大衆車の発売によって、車は庶民の手の届くものとなってきていた。

また、道路も整備され、ガソリンスタンドが増え、お店や会社には駐車場が整備されるようになってきた。そうなってくると、通勤や買い物のために車を購入する人も増えてくる。

それまで車を購入する人は、車に憧れを持ち、乗り回したいという人だった。しかし、車にそれほど興味があるわけではないが、買えるようになってきたので手に入れるという人が増えていたのである。

そうした人にとっては、車は道具である。もちろん車を購入した当初は運転するのが楽しいかもしれないが、しだいに当たり前の道具となり、使い倒すものとなってゆく。

そんなユーザーには、車内が広く、運転しやすく、燃費もいいFF車は求められる車だったと言えるだろう。確かにこの時代、1970年代の初め頃から、FFという言葉が車の広告やカー雑誌に増えてきたように思う。特に軽や小型車などの新型はFFを売り物にするようになってきた。

昭和48年(1973年)頃の東京
初代チェリーが販売されていた頃の東京の街の様子。いろいろな車が走っているが、この頃の車はまだほとんどFRだっただろう。なお、チェリークーペもしっかり写っている。動画開始48秒頃に注目。

生活の道具としての自動車。

そして車が生活に必須のものとなった現代は、FF車はごく普通、というか標準の仕様になっている。

逆にFRの車は、車好きの人が楽しむスポーツカーや高級車ぐらいで、数が少ないというのが実際の状況だ。FFがここまで当たり前のものとなるとは、チェリーを開発した日産も想像していなかったことだろう。

車の道具としての使いやすさを訴えたFF車チェリーは、そのデザインの良さもあって好評を持って迎えられた。次いで二代目登場となるのだが、二代目チェリーでは、少しおとなしいデザインとなってしまう。

しかし、日産自動車は今度は明確に若者をターゲットとした戦略でチェリーを売り込んだ。当時のアイドル秋吉久美子をCMで起用。キャッチフレーズは「クミコ、君をのせるのだから。」であった。

日産チェリーFⅡのCM
秋吉久美子を起用しCMを展開。「愛する人を安心してのせる車です。」とのナレーションが入り、「クミコ、君をのせるのだから。」と男性の声での語りが入る。走り云々ではなく、車の安全性や快適性を訴えている。

このようにして日産自動車は、チェリーを運転を楽しむ車ではなく、彼女とのデートを楽しむような若い人向けの車とした。当時の普通の若者がみんな彼女とのデートを楽しんでいたわけではなかっただろうが、この広告には確かにインパクトがあった。

この後、ユーザーの車購入の目安には、単なるカッコよさや車としての性能だけではなく、生活の道具としてという項目も加えられるようになるのである。