自分だけの車を持ちたい世代へ。
昭和45年(1970年)に登場した、2ドアハードトップクーペ。膨らみのあるボディデザインが当時としては斬新で、話題となった。3年後に出たリフトバック(LB)と呼ばれるハッチバックも人気で、セリカというとこのリフトバックを思い出す人も多い。
”ダルマ”と呼ばれたクーペ。
クーペと言えば、屋根から後部までの流れるフォルムが美しい車。しかし、多くが2ドアで後席が狭く、運転するのは楽しいが後ろに人を乗せるには気が引ける。便利に使うというよりも持つこと、運転することに意味があるゼイタクな車である。
当時の日本でスタイルの良いクーペとして登場したのは日産シルビア、いすゞの117クーペなどがあった。値段も結構なもので、確かに高級車であった。
セリカは、そんな高級車イメージを持つクーペとして登場したが、もっぱら”ダルマ”と呼ばれて親しまれた。ボディの丸い膨らみからそんな愛称が生まれたのだろう。特徴的なメッキバンパーがダルマのヒゲに見えるからという説もある。いずれにしても、愛称があるということはそれだけ皆に愛された車と言える。
日本初のスペシャリティカー。
トヨタ自動車は、このセリカを”日本初のスペシャリティカー”と銘打ち発売した。そもそもスペシャリティカーとは何か。特別に誂えた車、選ばれた車という意味があるが、当時の車大好き人間たちにはこの言葉が刺さった。セリカ以降、他の車種でもやたらにスペシャリティカーが登場した。日本人はスペシャリティに弱い。
しかもトヨタ自動車は、この言葉を言葉だけに終わらせなかった。セリカは購入に当たってフルチョイスシステムを採用した。エンジン、トランスミッション、内装、外装などを組み合わせることで、自分だけのセリカを注文することができたのだ。まさしくスペシャリティ、特別製の車であった。
また、セリカは、他のクーペに比べ値段が安いという点でもスペシャリティであった。当時の価格で約80万円、高いグレードでも100万円強であった。特別な自分だけのオーダーメイドを気軽に手に入れられるということで、車好きの心を掴んだのだ。
「車が持てればよい」から「カッコいい車を持ちたい」へ。
この車が登場した昭和45年(1970年)と言えば、大阪万博の年。戦後の高度経済成長も頂点に達していた時期である。
人々の生活も豊かになり、大衆車のトヨタカローラやダットサンサニーが販売合戦を繰り返していた。自動車を持つことは、すでに夢ではなくなっていたのである。そうなると、単に車を持つことではなく、どんな車を持つかが関心の的になってくる。
車を欲しがるのはやはり男性、それも若い男性たちである。彼らは、どんな車を持ちたがるのか。当然カッコいい車である。そこにセリカという名のスペシャリティカーが登場した。このカッコいい車に乗れば、街をゆく人がみんな振り向くだろう。こんなのに乗っていたら女性にモテるだろう、そんな妄想も生まれる。
車好きの男性たちの心をくすぐるCMが流れた。
トヨタ自動車は、セリカの発売にあたり、車好きの男性たちの心をくすぐった。CMには毛皮のショールをまとった外国人女性が登場し、セリカを紹介する。CMの最後に「こんな車に乗る男って、食べてしまいたい!」と女性のセリフが入るのだが、そのものズバリというか、これしかないというか、男性の妄想そのままのCMである。
また、その8年後のセリカLBのCMでは、こんどは外国人の中年男性があの名曲「My Way」が流れる中で、「私の生き方、私のスペシャリティ、セリカ」と優しく語る。カッコよさの訴求も時とともに変化しているのが面白い。
いざなぎ景気と呼ばれた昭和40年代前半には、新三種の神器3C(カー、クーラー、カラーテレビ)が話題となった。さらに昭和41年(1966年)には、大衆車の代表とも言えるカローラやサニーが登場し、マイカー元年と言われた。
それから4年後の昭和45年(1970年)、車に対する人々の興味が、マイカーを持つことからどんな車を持つかにシフトしていた時期に生まれたのが、このセリカであった。しかも、スペシャリティカーというカッコいい車として車好きの若者のたちの前に登場したのである。
ウチの自動車ではなく、オレのカッコいい車セリカ。それはまさに、豊かな戦後日本の象徴のような車でもあったのだ。