ブリッツェン ベンツ

ブリッツェンベンツ
ブリッツェン ベンツ 1909年

ベンツが生んだ、スピードマシン。

ロケットに車を付けたようなデザイン。ブリッツェン ベンツという名のレーシングカーである。この車、名前が示す通りベンツと関係がある。自動車の元祖を製造し、現在のメルセデス・ベンツの基礎を作ったカール・ベンツが1883年に創業したBenz & Cie.により、1909年に製造されている。ベンツの初期のレーシングカーでもある。

ある特別なレースのために作られた。

レーシングカーであるから自動車レースに参加する車である。実際、自動車が世の中に登場し、人々に認知されるようになると、すぐに自動車レースが開催されるようになった。これは人間の自然な傾向なのだろう。子供がすぐにかけっこをしたがるのと同じである。

世界で最初の自動車レースとされているのは1887年のパリで開催されたものと言われており、その後、自動車の競技として整備されるようになった。ブリッツェン ベンツが登場した頃には各地でレースが行われていたようだ。

初期の自動車レース。普通の道路でレースしている。
初期の自動車レースの様子
パリ、ルーアン間127キロを走ったレースである。1894年7月に開催された。普通に人や馬車が通る中を参加車が走っている。優雅なものである。
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しかし、ブリッツェン ベンツは、こうした競争としての自動車レースではなく別のレースを目指して製造された。

それは、スピード記録。つまり、どれだけスピードが出せるかのレースである。当時、時速100キロの壁はすでに破られていた。1899年にフランスのラ・ジャメ・コンタントという電気自動車により達成されていたのである。

ラ・ジャメ・コンタントとカミーユ・ジェナッツィ
ラ・ジャメ・コンタント
1899年に初めて時速100キロの壁を破った電気自動車である。砲弾に運転席をつけたような形だ。車に乗るのは設計者でありドライバーのカミーユ・ジェナッツィとその妻。
http://depris.cephes.free.fr/presscom/060-02.htm, Public domain, via Wikimedia Commons】

ブリッツェン ベンツが目指すのは時速200キロであった。しかもその速度を簡単に超える車が目標だった。実はその記録は1906年に達成されてはいたが、記録を出したのは蒸気エンジンを積んだ車であり、ガソリンエンジンの車での時速200キロはまだ誰も成し遂げていなかったのである。

雷光という名の車の実力は。

ブリッツェン ベンツには、排気量21500cc、200馬力の強力エンジンが積まれた。また、車幅は可能な限り狭くされ、前部ラジエターの上には尖った形の水タンクが付けられ、車体後部の形状も尖っている。空気抵抗を極力減らしたスタイルに設計されたのである。

ブリッツェンベンツのスタイル
ブリッツェン ベンツのスタイル
幅は狭く、前後は尖った形状。できるだけ空気抵抗を減らそうとこの形になった。
ブリッツェンベンツに搭載のエンジン
エンジン
ブリッツェン ベンツのために作られた21.5リッター200馬力の直列4気筒エンジン。
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ブリッツェンとはドイツ語で雷光を意味する。稲妻が空を駆け巡るような速さという意味を込めたのだろう。その名が示す通り、この車はすぐに実力を発揮し、あっさりと時速200キロの壁を打ち破ってしまう。製造された年1909年の11月にイギリスのサーキットであるブルックランズにおいて時速202.6キロを叩き出すのである。

そして、翌々年の4月にはアメリカのデイトナビーチで時速228.1キロを記録した。これは、当時の自動車はもちろん鉄道の記録を超えていた。また、飛行機の2倍以上の速さでもあった。プロペラで飛ぶ当時の飛行機はまだまだ速度は出なかったのである。

これによりブリッツェン ベンツは地球で最も速い乗り物となった。なお、この記録は1919年まで破られることはなかった。

デイトナビーチを走るブリッツェンベンツ
デイトナビーチでのブリッツェンベンツ
1911年4月23日、デイトナビーチを走るブリッツェンベンツ。運転するのはアメリカ人ボブ・バーマンである。時速228.1キロを記録した時の写真と思われる。
Library of Congress, Public domain, via Wikimedia Commons】

時速200キロが意味するもの。

時速200キロとは、よく考えると大変なスピードである。時速100キロも速いことは速いが、現代の高速道路では普通に出せるスピードであり、コントロールもしやすく感じる。しかし、120、130とスピードが上がってゆくとどうだろうか。

最近、時速120キロが出せる高速道路も増えてきたが、120キロでは怖いと感じる人も多いようだ。それが200キロなのであるから結構なスピード感があるはずである。当然コントロールも難しいはずだ。

それでも、人は挑戦するのである。走る機械が生み出されると、より速くとスピードを上げようとするのは人間の性なのだろう。車はもちろん鉄道しかり、飛行機もしかりである。より速くし、時間を節約しようという意識が根底にあるのだろうが、とにかく速く走るということ自体に意味があるようだ。

旧車イベントのブリッツェンベンツ
ブリッツェン ベンツ実車
2013年にパリ・レトロモビルという旧車イベントに登場。1909年製をレストアしたものらしい。
Thesupermat, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

時速200キロと言えば、最初の東海道新幹線がそうであった。昭和39年(1964年)に開業した際、時速200キロで走る夢の超特急というのがウリであった。開業の1番列車から210キロを出したという逸話があるが、当時は列車内のビュッフェにスピードメーターが付いていて、200キロを超えているのを見た乗客が大喜びしたそうである。

自分で運転するのは怖いかもしれないが、乗り物が時速200キロを超えるという事実にとにかく達成感と言うか、爽快感を感じてしまうのが人間なのである。

レースを走るブリッツェンベンツ
レースで活躍
日付は不明だが1910年代の写真のようだ。二人乗りで、砂煙を上げながら走っている。
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さて、新幹線の時速200キロは今から約60年前の話だが、それよりさらに50年ほど前にブリッツェン ベンツは時速228.1キロを出し、世界最速の乗り物となった。そしてこの車はスピードを出すこと、スピードに挑むことのワクワク感を人々に強く印象づけたのである。

スピードには道路のクオリティも重要。

ブリッツェン ベンツの速度記録挑戦にはもう一つ大きな意義もある。それは、道路である。車をスムーズに走らせるためには、車という機械の性能に加え道路のクオリティも重要であることを教えたという点である。

最初に時速200キロを超えたイギリスのブルックランズは1907年にオープンしたサーキットであり、コンクリート舗装による耐久性のある路面で、バンクも設けられ高速を出すためのコースとして作られていた。こうした路面が無ければ、いくら車の性能を上げたとしても記録を出すことはできなかったのである。

ブルックランズ・サーキットの様子
ブルックランズ・サーキット
美しく舗装され、コーナーにはバンクも付いている。1911年にブリッツェン ベンツはここで時速200キロを突破した。なお、この写真は1907年に撮影されたものである。
DaimlerChrysler AG, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

この当時、アメリカでは初めての自動車専用道路が生まれていた。車を速く走らせるための道路だ。すでにこの頃になると、自動車が走るのを単に喜んでいた時代は過ぎ、自動車のための道を作ろうという時代になっていたのである。

ブリッツェン ベンツ、それは速く走るのを競うためだけの車であった。しかし、こうした車がなければ、また、最速への挑戦者がいなければ、現在のような高速道路網が発達した自動車社会が実現しなかったことも確かである。

ブリッツェン ベンツの動画
メルセデス・ベンツが提供する動画である。ブリッツェンベンツの所有者が、車の魅力を語っている。走る姿や内外装、エンジンなどが余すところ無く紹介されている。