
自転車か飛行機か。いや自動車だ!
丸見えのエンジンに一つ目のヘッドライト。これはまた何というか、自転車やバイクを思わせる乗り物だ。しかしこれで、レッキとした四輪自動車なのである。フランスのブルボー・エ・デヴォー社というメーカーが1913年に製造した車で、名前はベデリアという。
幅の狭い車体の前部に小さなエンジンを載せ、そのエンジンの動力をベルトで後輪に伝えている。そして座席はと言うと、前後に2つ。しかも運転席は後ろの席である。なるほどよく見ると後ろの座席にはハンドルがあり、ラッパ式のクラクションも後ろの席で鳴らせるようになっている。

小さなV型エンジンに座席が縦に2つ。したがって、この車の車幅は座席ひとつ分である。しかも運転席は後ろなのだから面白い。エンジンの動力をベルトで後輪に伝えているところはバイクのようでもある。

ハンドルが付けられ、席の右手にはクラクションやギアレバーが見える。そして上には折りたたみ可能の幌である。運転手には雨よけが必要なのだ。
1913年と言えば、もはや自動車は、普通の乗り物として人々に認知されていた時代。アメリカのフォードはT型を大量生産し、ヨーロッパでも各社から高級車や大衆車が出され、街には馬車に代わって自動車が溢れていた。そんな時代に、こんなプリミティブな車も走っていたのである。
フランスの若者の手作り自動車から。
ベデリアの製造は1913年の5年前、1908年から始まっている。いったい誰が製造を思い立ったのだろうか。実は、この車の元となったのはロベール・ブルボーとアンリ・デヴォーという二人のフランスの若者の手作り自動車であった。
彼らはパリの工学学校の学生であったが、1907年に交通事故に遭いオートバイを壊してしまった。修理することができなかったので、自分たちの持っているもので自動車を作ることにした。
そこで、壊れたバイクの2気筒V型エンジンを搭載し、2つの座席を縦に並べたこの奇妙な車が生まれたのだ。ベデリアに搭載されているエンジンは、もともとバイク用なのである。エンジンが丸見えというのもこれで納得である。

2019年のレトロモビルショー(クラシックカーのイベント)に登場した1913年製のベデリア。こちらは、ライトが2つ目である。
【Kev22, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】

1911年製のベデリアのエンジン部分。もともとはバイクで使うV型エンジンである。フランスリヨン近郊のアンリ・マラルトル自動車博物館所蔵。
【HReuter, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
エンジンを前に搭載し、座席を縦に並べるというレイアウトは、当時の飛行機からヒントを得たようだ。この頃の飛行機はまだ生まれたばかりで、エンジンを前に載せてプロペラを回し、その後ろの座席で人が操縦するという形だった。この車のレイアウトはまさに翼のない飛行機なのである。
大量生産、販売を始めたベデリア。
二人の若者のこの奇妙な自動車はシンプルな作りが話題となり、二人は資金を得て、ブルボー・エ・デヴォー社を設立。自分たちの自動車にベデリアという名を付け、1910年から大量生産、販売を始める。
以降ベデリアは、モデルチェンジを行いながら1920年まで二人の会社で製造される。その後、製造は他のメーカーに引き継がれたが、結局1925年まで製造されたようである。
このベデリア、翼のない飛行機と言えば聞こえは良いが、運転はなかなか難しかったようだ。前に人を乗せ、車体の後ろで運転するのだから確かに普通の車のようには運転できなかっただろう。しかも、初期のベデリアはギアチェンジの方法が珍しく、運転手が前に乗る同乗者の助けを借りてチェンジを行うようになっていたそうである。
二人で行う運転とはどんな様子だったのだろうか興味が湧く。「せーの」とか言いながらギアチェンジをしていたのだろうか。さらに、同乗者のいない場合はどうしていたのだろうか。さすがにこの点は改良され、後に運転手一人でチェンジができるようになったようだ。

1912年に雑誌に掲載されたベデリアの広告。最初に値段を訴求し、続いてベデリアがいくつかのレースで好成績をあげたことを伝えている。
【See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons】

1919年の雑誌に掲載されたベデリアの写真である。2人が乗車するとこんな感じである。後ろの運転席は少し高くなっている。
【Automobilia : l’automobile aux armées, GPL, via Wikimedia Commons】
サイクルカーと呼ばれ、人気を呼ぶ。
しかし、ベデリアの登場以降、こうしたシンプルな形の車がブームとなり、1920年代の終わりごろまでヨーロッパやアメリカの様々なメーカーから同様の車が売り出された。オートバイのような簡便な自動車ということで「サイクルカー」とも呼ばれ人気を集めたのである。
各地でサイクルカーのレースも企画され、1920年にはフランスのル・マンでもサイクルカーグランプリが行われた。つまりサイクルカーは、単なる珍奇な車ではなく、当時の自動車社会の一端を担う車ともなったわけである。ベデリアは、こんなサイクルカーの元祖なのだ。
サイクルカーのベデリアがフランスでこの時期に人気を得たのには理由がある。それは、やはり安さである。普通の自動車と比べ価格が手頃であった。しかも、毎年徴収される自動車税の安さも魅力だったのである。当時のフランスでは軽量小型エンジン乗用車の税金は普通の自動車より割安であった。今の日本の軽自動車と同じである。

1913年にフランスのアミアンで開催されたサイクルカーグランプリの様子。前を走るのはイギリスの3輪自動車モーガンのようである。当時はこんなレースが各地で行われていた。
【Agence Rol, Public domain, via Wikimedia Commons】
20世紀初めの石油危機の中で。
サイクルカーのブームに関しては、当時の石油事情も考慮しなければならない。ベデリアが生まれた1910年代は、石油の枯渇が危惧された時代であった。庶民の間にガソリン自動車が急速に普及し、船舶の燃料も石炭から軽油や重油にシフトしていた。当時掘削されていた油田の石油では、需要の増加に追いつけないと見られていたのである。
こうした状況の中で石油の価格はじわじわと上がり、1920年の価格は7年前の1913年の3倍にもなった。これは、1970年代の石油危機の時と同じような上がり方だそうである。フランスでも、石油価格上昇に伴いガソリン価格がはね上がった。そうなると、小型で普通車より燃費の良いベデリアはユーザーに大いに受け入れられたのである。まさに時代が求めた車だったのだ。
しかし、油田の開発が進んでガソリンの価格が下がり、大手の自動車メーカーから低価格の大衆車が売り出されるようになってくると、やはり、簡易型のサイクルカーは次第に衰退していった。人気を博したベデリアも1925年には製造、販売を終了する。
イギリスのブルックランズ博物館のイベントで撮影された動画である。バタバタとエンジン音を響かせながら走る様子を見ることができる。
いつの時代も簡便な車がブームに。
ベデリアやサイクルカーがウケたのは1910〜20年代の間の15年ほどだったわけだが、こうした簡易型の小さな車のブームは繰り返しやってくるようである。第二次世界大戦後の物のない時代、1940年代後期から1950年代に、今度は「バブルカー」と呼ばれるマイクロカーがブームになる。低価格で燃費の良いバブルカーに人々が飛びついたのだ。
19世紀の終わりに自動車が生まれ、20世紀になると人々はその自動車を求めるようになる。そして、自動車が欲しいという庶民の欲求は旺盛で、世の中が厳しい状況になり、小さくて多少不便な車しか買えなくても、気にせず求めたのである。
やはり、20世紀の自動車と庶民の間には切っても切り離せない関係があるのだ。ベデリアは、そんな庶民の自動車第1号であり、記念すべき車とも言えるだろう。
最初のサイクルカーとしてベデリアが登場。その他にもさまざまなサイクルカーの写真やレースの様子などが出てきて興味は尽きない。