autobianchi A112

ミニを超えろ!スーパーミニ。
後ろのトランクスペースをスッキリさせた台形スタイル。前輪駆動でハッチバックタイプのコンパクトカー。どこかで見たことがあるような形のこの車は、イタリアの自動車メーカーアウトビアンキのA112である。スーパーミニとも呼ばれ、愛された小型車だ。
アウトビアンキA112が登場したのは1969年。実はこのA112が生まれる10年前に、似たスタイルの車が出されヒットしていた。あのイギリスの名車、ミニである。どこかで見たことがあるようなと書いたが、アウトビアンキA112は、ミニに似ている。

横から見るとあのミニのようなコンパクトな台形スタイル。前も後ろも似ているが、A112のバックは、この頃から流行りはじめていたハッチバックである。
スーパーミニの第1号だった。
当時のヨーロッパの自動車メーカーは、ミニがあまりにもヒットしたため、ミニを超える小型車を生み出そうと模索を続けていた。そんなミニを超える車のことを1970年代にスーパーミニと呼ぶようになるのだが、1969年生まれのアウトビアンキA112は、そのスーパーミニの第1号であった。ミニに似ていて当然といえば当然なのだ。
この車に続いてフィアット127、ルノー5、フォルクスワーゲン ポロなどがスーパーミニと呼ばれた。日本のホンダ シビックもそうである。
A112の前輪駆動も当時としては意欲作で、これもまたイギリスのミニと同じである。しかも、A112の前輪駆動システムは、同じイタリアのメーカーフィアットが開発したジアコーサ方式で、現在の前輪駆動の主流となっているものだ。

1971年に登場したフィアット初のスーパーミニ。この車にもジアコーサ方式の前輪駆動システムが採用されている。
【Thomas doerfer, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

1972年に登場した初代ホンダシビックも前輪駆動の台形スタイル。上の写真はクリーンエンジンと謳われたCVCCエンジンを搭載した1975年製である。
【TTTNIS, CC0, via Wikimedia Commons】
さて、ここでフィアットが出てきたが、アウトビアンキA112は、フィアットの車と大いに関係がある。それは、アウトビアンキが、フィアットの資金援助によって1955年に設立されたメーカーであるからだ。とは言っても、この会社、フィアットの子会社というわけではなく、戦前からの自動車メーカーであるビアンキが母体となっている。
古参の自動車メーカー、ビアンキ。
では、そもそもビアンキとはどんなメーカーなのだろうか。ビアンキは、1885年に創業したイタリアの自転車製造メーカーである。この会社は現存し、世界最古の自転車メーカーとして知られている。
ビアンキは、1887年からオートバイの製造をはじめ、1903年には自動車の製造も始めている。ちなみにイタリア最大の自動車会社フィアットの創業は1899年である。ビアンキは、まさに自動車製造の初期のメーカーのひとつなのである。
ビアンキの製造する自動車は、高級車であった。ビアンキが自動車製造を始めた時代、自動車そのものがすでに贅沢品ではあったが、ビアンキはお金持ちのために高価な材料を使い、こだわって製造した自動車を提供していたのである。

オランダで出されたビアンキの自動車の広告である。1913年の広告であるが、大型の豪華な乗用車を販売していたことがわかる。「静かで速く、頑丈で信頼できる」と書かれている。
【Conam.info, Public domain, via Wikimedia Commons】
ところがビアンキは、1930年代になるとトラックの製造を開始し、第二次世界大戦を経て戦後しばらくはトラックをはじめとする商用車製造を行うメーカーとなっていた。しかし、かつては高級車を製造していたメーカーとして、乗用車への思いが捨てられなかったのだろう。1955年に自動車メーカーのフィアットとタイヤメーカーのピレリの支援を受け、アウトビアンキを設立するのである。
アウトビアンキは、フィアット車がベース。
アウトビアンキのアウトとはオート、つまり自動車のことだ。自動車、それも乗用車を製造するのだという決意がこの社名にも表れている。
アウトビアンキとして最初に手掛けたのは、ビアンキーナという小型車であった。それはチンクエチェントという愛称で知られるフィアット500をベースにした車で、フィアット500よりも少しハイグレードでエレガントな小型車という位置づけで販売された。
庶民向けの車というよりも少し上の層を狙っていたのだろう。やはり戦前に高級車を製造していたという自負があったのだろうか。
A112、もともとは試験的な車だった。
さて、こうしたアウトビアンキが1969年に登場させたのがA112である。この車は、前述したようにフィアットが開発した前輪駆動システムを搭載した車であった。つまりA112も、ベースはフィアット車であったわけだ。しかし、ビアンキーナのような高級車という位置づけではなかった。
車のベースを提供したフィアットとしては、A112は、スーパーミニの前輪駆動車を市場がどう受け止めるかを確かめるための車という思惑があったようだ。試験的な車という認識だったのである。実際にフィアットは、A112の成功を受け、1971年にスーパーミニのフィアット127を投入し、ヒットさせている。
しかし、アウトビアンキA112は、フィアット127のヒットによりその役目を終えたわけではなく、人気車となり、1986年まで製造、販売が続けられた。しかも、新たなニーズを見出すことにもなった。これが、A112の面白いところでもある。では、新たなニーズとは何か。

1970年製のアウトビアンキA112の実車である。2018年に撮影されたものだ。50年以上前の車だが、よく整備されている。
【Corvettec6r, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】

ビアンキの地元であるイタリアミラノのドゥオーモ広場で見られた白いアウトビアンキA112。1975年の撮影である。この頃、庶民の車として大いに人気だった。なお、隣の黄色の車はフィアット124のタクシーである。
【Gerry or Gerrit Labrijn, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons】
若い女性に受けた、その理由は?
日本の衛星放送のある番組で、若い頃アウトビアンキA112に乗っていたという女性芸能人が登場し、A112を購入した理由をこう語っていた。「本当はミニが欲しかったんですけど、もうあの車が売っていなくて・・・それで、ミニにそっくりなアウトビアンキを買ったんです。」
イギリスのミニは、1970年代初頭に大幅なデザイン変更が行われ、イメージが大きく変わった。あのカワイイ車では無くなってしまっていたのだ。特に女性の車選びはイメージ優先である。どうしてもあのカワイイのが・・・ということでアウトビアンキA112となったようだ。ところがこれは、日本の女性芸能人の個人的な感覚ではなかった。
そもそもA112は、ミニに対抗する車として作られたスーパーミニであった。ミニを意識して作られていたのである。しかもこの車、1986年まで製造、販売されたが、1984年の時点で所有者の35%は女性で、その約3分の1が18〜24歳だったそうである。つまり、若い女性に大人気だったわけである。

上の写真は、1970年代のアウトビアンキA112の広告パンフレットの一部と思われる。Abarthと書かれており、フィアット車のチューンナップを行ったアバルト社により改造を加えられた一台だ。こうした改造車は男性がターゲットと思いきや、女性が登場している。やはりこの頃のA112は女性ユーザーに愛されていたのである。
【Autobianchi A112 Abarth by JOHN LLOYD, Flickr】
本家のミニの方は、若い女性はもちろん多くの世代のファンを惹きつけたのであるが、A112は、この手のコンパクトな車が若い女性に大いに受けることを自動車メーカーに気づかせたのだ。
そしてこの車、現在でも人気がある。上の写真に見られるようなAbarth(アバルト)のチューニングを受けた車が、ネットの記事やYou Tubeなどでよく取り上げられている。知る人ぞ知るスーパーミニとして、今や男女を問わずマニアにウケているのだ。
73年製のA112アバルトだ。心地よいエンジン音を立ててキビキビ走るスーパーミニの姿が捉えられている。