荷室や車体にも新しさがあった。
オースチン K8の新しさはキャブオーバー型であるだけではない。後ろの荷物室にも大きな特長がある。左右の側面と後部に観音開きのドアがあるのだ。今でこそワンボックスカーであれば大抵左右がスライドドアで、後部には跳ね上げ式のドアがあるのが当たり前だが、当時はドアを3つも持つのは珍しく、これも画期的でもあった。
しかも、ドアはすべて観音開き、つまり両開きである。ゆえに、狭い場所でもドアを開けることができ、3方向から荷物の積み下ろしが可能ということで、便利さが際立っていた。「スリーウェイバン」とも呼ばれ親しまれたようである。
さらに、オースチン K8には、前輪と後輪の間の寸法、つまりホイールベースがそれまでの商用車より短く設計されているという特長もあった。これにより、小回りが利く車となっていた。都会の狭い路地にも入っていって荷物の積み下ろしがしやすくなっていたのである。

戦後の商売の発展を見越していた。
さて、オースチンは、戦後すぐになぜこうした商用車を出したのだろうか。もちろん、老舗自動車メーカーであるオースチンは、戦前からトラックやバンなどの商用車を製造、販売していた。だが、単にその延長線上ではなく、戦後の新しい時代には商売やビジネスがさらに拡大し、もっと便利な車が必要になると見越していたのかもしれない。
1946年6月、オースチンは自動車生産100万台を記念するイベントを行った。そのイベントで、このオースチンK8の試作車がお披露目されたようだ。長かった世界大戦が終結し、しかも生産100万台という喜ばしい時に登場させたわけで、オースチンがこの車にいかに大きな期待をかけていたかがわかる。
確かに、オースチン K8は、それまでの商用車とは異なっていた。単に荷物を運べるだけでなく、いかに速く、ラクに運べるか、それによって商売にどれほど貢献するかを考えて、新たなアイデアが盛り込まれていた商用車だったのである。

1950年製のK8をコーチビルダーが12人乗りのミニバスに改造した一台である。実際にこの車は、1980年代までスクールバスとして活躍していた。広い荷室を持ち、運転もしやすい商用車K8は、このようにバスとして使われていたケースも多いようである。
【Hugh Llewelyn, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons】

